これ以上は書き加える必要がないな、と昨日の3行を思い浮かべる。
たった3行ではあるが、完成されている、と私は感じたからだ。
「斯く欠かさずに書くことの難しさよ」に、十分に私が言いたいことが書けている。
時に思いがけず、ちょっとした奇跡が起きる。
適当に買い物かごに放り込んだ品物の合計金額が777円だったような、ちょっとした奇跡だ。
仕事場から帰宅するまでの間の信号機がすべて青信号だったような、そんなちょっとした奇跡だ。
意図せず偶発に起きる出来事に驚く。
私の想像の外にいつも驚きはある。
驚きは自ら驚くことができないから驚きなのだ、と何処かの書籍の言葉を思い出す。
喜ぼうとすれば笑顔になり、悲しもうとすれば泣き顔になる。
しかし驚こうとしても、滑稽な自分が見えてしまう。
自ら驚くことはできない、だから驚くためには外に出なくてはならない。
自らの内へ内へと向かっていっても、自分の知っている自分がいる。
しかし、時々、自分の知らない自分がいることを知る。
外に出す、言葉にするその先に、まだ自分に無知だと思い知り、驚く。
昨日の3行は、大したことではなかった。
しかし、果たして今の私があの3行を書けるだろうか?
私の言葉であるが、全くの偶発なあの3行は、多分、書けない。
何故か、昨日のことが頭に過ったので、考えてみた、今日の記事だ。