予定はあくまで予定なのだ。
「予め定めた」の前には、「未来の自分の行動しているであろう場所と時間を」とあるのが予定だ。
しかし、いくら予め定めても、未来に何が起こるかは予測困難、予め計るのは難しい。
2月16日から28日に山梨県北杜市で落ち合う約束をしていた。
その約束をしたのが1月13日の朝である。
1月の先の話しであったが、私はそのつもりで予定を組んだ。
しかし、1月25日におおよその日程をお伺いしようと電話をしてみたら、先方の予定が変わってしまったようだ。
先方は、1月29日から2月7日の間なら私の方の予定と合わせられる、と言った。
そんな都合良く日程が合う日など、あるのだ。
2月1日から3日まで3連休を取っていた。
むき出しの予定にピタッと嵌ったので、その3日間なら何時でも、と回答した。
そして、先程、電話が鳴って2月2日の10時から、となった。
場所は、山梨県北杜市から長野県上田市別所温泉へと変更した。
目的は2000円企画の実行にあるので、場所に特に拘りのない私は了承した。
しかし、随分と予定が変わったな、と考える。
予定はあくまで予定なのだ。
1人だったらある程度のコントロールはできるだろう。
しかし、2人以上となれば誰彼の都合で変わるのは当然なのだ。
私は2月の後半には山梨県で観光している自分を想像していた。
しかし、その想像はあっけなく裏切られた。
今は別所温泉で寛いだ後、いつもの山々に囲まれながら遊び倒す自分を想像してる。
さて、2月1日は少し予定が空いた。
最初の予定では岐阜県高山市へ観光予定であった。
そこで会いたい人に会いにいくつもりであったが、いや、会いに行こうか。
会えれば良いのだ、会えれば良い。
今年の私は運が良い、会えなくてもそれはそれで楽しもう。
取り敢えず、私の頭の中で予定を組み直す。
未来は少しだけ見えるだけで、全部は分からない。
その少しの予見、予め抱く未来の形も宛てにはできない。
予定はあくまで予定なのだ。
意味のない数字として、投稿して明日へ臨む。