湯気は気体であるか、とSNSのタイムラインにクイズが流れた。
私は空気に浮いているのだから気体だろうから、そうだ、と考えた。
しかし、正解は否、気体だと目には見えなくなり、白く見えるだけの集まりを有している液体なのだそうだ。
科学の定義はよく知らないが、湯気は液体というのは驚きだ。
と言うことは、液体が宙に浮いていることとなる。
水の塊がぷかりシャボン玉のように浮かぶ画が私の頭上に浮かぶ。
目に見えるのは液体、となると、霧は液体ということだろうか?
となると、朝霧の中を進むのは、水中にいるのと同義ということか。
濃い朝霧の中は、さながら、深海を進む潜水艦か。
家を出る時には、杯一杯に霧と共に吸い込む。
水中にいるにも関わらず、溺れない。
私が気付いていないだけで、えら呼吸を身に着けているのだろうか?
その内、霧は晴れてゆく。
液体から気体へと変貌しているのだ。
それは水中の幻想から、寒々とした現実の空への帰還だ。
朝霧の中で泳ぐ魚はいるのだろうか。
私が見ていないだけで、すいすいと泳いでいるのかもしれない。
そう、誰も見たことがないからと言って、朝霧の中を泳ぐ魚がいても可笑しくない。
液体が中を浮くのだ。
むしろ、朝霧の中を泳ぐ魚がいない道理がない。
人類史で未だ目撃されていないだけの話しだ。
もしかしたら、私が最初の第一発見者になるかもしれない。
寒々とした現実の空は、果たして、本当に現実なのだろうか。
水中の幻想が実を伴う、そうした反転することも、きっとある。
3月15日、月半ばで考える、空想と言う名の現実にじっと息を潜めて、朝霧の魚を探す。