あの人はどうやらバックレたようだ。
休み明けで聞いた話しは、人が一人辞めたことだ。
そして、その辞めた人は、私と同じラインの人だった。
今まで普通に来ていた。
それが、突然来なくなり、連絡が取れなくなった、らしい。
工場内では、もう来ないものとして仕事を組み始めていた。
仕事で言えば、私は大変に困る。
私のいるラインは私を含めて3人で回している。
他のラインは1人くらいならまだ対応できるが、私のいるラインは1人抜けると結構業務が厳しくなる。
明後日は2人で回さなければならない。
作れる絶対数がぐっと落ちる。
やれるだけのことをやるしかないと諦める。
別に仕事を辞めるのは全然良い。
他にやりたいことがあったり、合わなかったり、体調が優れなかったり、自分を大事にするのは良い。
私も35歳で辞める宣言をしこたましている。
しかし、やはり、辞め方があるだろう。
入る時には、面接なり、書類なり、研修なりの手順を踏んだのだ。
辞める時だって、相談して、辞表出して、契約を満了してから辞めれば良いのだ。
せめて連絡はした方が良いのではないか?
もう行く気がありません、の一言があるだけで違う気がする。
工場は悪く言えば替えがあるからと冷たいが、良く言えば辞めることに寛容なのだから。
そも、次はもう見付けたのだろうか?
私も次を見付けずに辞める口だが、自業自得なので受け入れられる。
己の業を見て見ぬ振りをしていないか、余計な心配をする。
嫌になったらバックレれば良い、と考えているのだろうか。
それも一つの生き方だろう。
あまり人には勧められない、社会人として欠如した生き方は大体が落ちぶれていくだけではないだろうか?
以前にも辞め方について書いた気がする。
調べたら、下記の記事をあった。
時期は1年前の2月10日である。
私の考えは1年前から変わっていない。
辞めるときは、後を濁さない。
人に恥じるようなことは何もない、辞めたいのであれば、胸を張って辞めれば良い。
さて、しばらくは大変だ。
1年前から変わらない。
ただ、この日常に慣れたのだろう。
あの人はバックレた、そのことが残念で仕方ない。
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2019年7月24日、油揚げのシーズンオフで仕事がなだらかだ。
そして、ふと、振り返れば、もう皆忘れてしまったようだ。
あの人はもう、居ないのだ。
最早、残念と感じることさえなくなった。