ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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自身がないのは悲しい、と誰かが言う。

しかし、「私」の実像も虚像もあやふやなことを誰も言わない。

悲しいと感じるのは果たして誰か、付き従うことへの抵抗ではないのか?

 

自信がないのは良くない、と他人は言う。

しかし、自分の言葉に責任を負えるほどに追い込むことは、本当に美しいことなのか?

急ぐ必要はない、信じられるまで粘り強く当たれば良いのだ。

 

地震がない、海の向こう側の国を羨む。

しかし、科学が生まれ落ちるその前からこの地に根差して生きてきた。

地球の胎動と共に、日の出ずる国はあるのだ。

 

時針のない、日が昇り、南を通り抜け、日が沈む。

大いなる時の流れに身を任せられればどんなに良いのか。

機械仕掛けの発条に動いているのか、動かされているのか、両義性の私たちは空を仰ぐ事を忘れている。

 

慈親がないとは、親知らずか。

いや、テトロドトキシンよりも恐ろしい毒を有した親もいる。

私の親はどうだろうか、ドメスティックの内側からは分からない。

 

慈心がないのは、愛を知らないか。

愛を知っていても、慈しむ心が育むと言えるのか?

如何にも愛を知らない人間が考えそうだ、と自嘲する。

 

ジシン、ジシン、ジシン。

震えるほどに、何もない。

空洞の肺を、面白いくらいに反響する、ジシン。

 

特に意味がない、じしんの証明だ。