ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

絶望する女の子に何を伝えれば良いのか、考える。

長文、ネガティブ、そして決意表明だ。

 

 

私はあの子にどう言えば良かったのだろうか?

正解が分からない自分に情けなくなる。

私は何を伝えれば良かったのだろうか?

 

8月30日、松本市のカラオケイベントに参加した。

事由は10月4日から6日まで開催される「まつもと演劇祭」の告知のためだ。

直前で参加できることが分かって、飛び入りで告知メンバーに紛れ込んだ。

 

ノリと勢いで誤摩化し、十分に宣伝もできた。

その上、何人かはまつもと演劇祭のチケットを買ってくれた。

カラオケイベント自体もかなり面白く、私は終始上機嫌であった。

 

イベントが終わり、片付けを手伝った。

できそうな手伝いを見付けては、せっせと働いた。

ふと、片隅で大人たちと話している女の子がいた。

 

S子と呼ばれる、可愛い女の子だ。

私が猛稽古している演劇に役者として登場する、演劇仲間だ。

演劇仲間の中で最年少で、明るい子だ。

 

そろっと輪に入ってみる。

どうやら、ワンピースの話題で盛り上がっているようだ。

S子は「かみちゃん(私の演劇名)はワンピース好き?」と聞いてきた。

 

私は漫画オタクである、当然、ワンピースは網羅している。

「ワンピースは好きだよ」と答えるとS子は表情をぱあと明るくさせた。

色々と私はワンピースの知識を出して、話をした。

 

周りの大人たちは気付けば散り散りになっていた。

S子は急に声のトーンを落とした。

「さっき友達から、「あと5年でワンピースが終わる」って来た」

 

私はそうか、と軽く答えたら、S子は何か憤然遣る瀬ない感じで私に言った。

「かみちゃん、本当に好きなの?」

私は「人によって好きの度合いは違うし、比べるものでもないじゃん?」と答えた。

 

S子は「それは、そうだけど…」とぐっと落ち込んだ。

私は聞いてみると「ワンピースは生活の一部だ」と彼女は真っ直ぐに答えた。

好きとかじゃなくて、本当に生活の一部なのだ。

 

検索の履歴を私に見せてくれた。

見事にワンピース関連の動画や情報ばかりだ。

あまりにワンピース関連で検索しているためか、検索上部には衣服のワンピースが表示されていた。

 

私は「漫画のキャラクターたちの目的が達成するから終わる。終わらないで欲しいというのは、こちらの都合でしかない」という私見を言った。

また「まだ5年もある」ということも伝えた。

しかし、彼女の顔が晴れていかない。

 

ああ、そうか、そういうことじゃない。

今、彼女は絶望しているのだ。

生活の一部である大切なことが終わる、その事実に絶望しているのだ。

 

そのことに気付くと、途端に口が重くなる。

どう言えば良い?

どう伝えたら良い?

 

ようよう、口が開いた。

 

「元気出してね」

 

よくぞ、そんな薄っぺらい言葉が言えたな。

恥ずかしくなる、情けなくなる。

絶望している女の子に言う言葉が、「元気を出してね」?

 

32年、私は何をしてきた?

何を見て、何を聞いて、何をして生きてきた?

今、目の前の女の子さえ、私は救うことができていない。

 

そこへ別の大人がやってきた。

S子の話は少し聞いていたのだろう。

「あ、ワンピース終わっちゃうね」と軽く言ってきた。

 

心臓がぎゅっとした、悪気が無いのは分かっているが。

隣のS子は泣いた。

その大人はびっくりして、「ごめんね」としきりに謝った。

 

その大人が去ってから、私は別の言葉を伝えようと考えた。

そうだ、このタイミングならまだ言えることがあるはずだ。

しかし、口まで出てきそうなのは、「元気を」だ。

 

私は「ごめん」と謝った。

S子はびっくりして「かみちゃんは悪くないよ」と言った。

言わせてしまった、情けない大人だ。

 

違う、そういう言葉を言わせたいんじゃないんだ。

しかし、他に言葉がない。

謝るしか、できなかった。

 

怪我の功名か、それでも彼女は少し調子を取り戻した。

私は「終わるまでにきちんとワンピースと向き合うこと」、「今の気持ちを大事にすること」、「しんどくなったら、信頼できる人に気持ちを伝えること」、「小出しに気持ちを伝えること、全部だと聞いてもらえないかもしれないけど、少しなら聞いてくれるから」と矢継ぎ早に伝えてみた。

彼女は聞いてくれた、情けない大人の言葉を聞いてくれた。

 

最後に母親と一緒に帰るのを見送った。

もっと伝えなければならないことがあるはずだと、考える。

考えて、考えて、見付からないまま、見送った。

 

私はあの子にどう言えば良かったのだろうか?

正解が分からない、情けなさで胸が苦しい。

まだ、伝えなければならないことがあったはずだ。

 

言葉は万能ではない。

そんなことは百も承知だ。

それでも、彼女が明日も生きていけるための言葉があったはずだ。

 

大人になれば、大したことじゃないと振り返られる。

しかし、彼女にとって重大なことなのだ。

大人になってからでは、遅い。

 

なのに、言えなかった。

伝えられなかった。

私は、何もできていない。

 

これからも顔を合わす。

彼女はきっと笑う。

5年後も笑っていて欲しい、その言葉を考える。

 

私は「私」を大事にしないし、できないし、したくない。

しかし、私の関わる優しい人は大事にしたい。

できるかどうかではなく、大事にしたい。

 

空回りするのは分かっている。

情けなさで恥ずかしくなる。

万能ではない言葉で、風化する言葉で考える。

 

私はあの子にどう言えば良かったのだろうか?

私は何を伝えれば良かったのだろうか?

せめて、大人になる前までに、もっと良い言葉を伝えたい。

 

絶望する女の子に何を伝えれば良いのか、考える。

 

私のすべてでは足りないが、それでも考えよう。

彼女のすべてが壊れる前に、考えよう。

普通になれない私の課題だ。

 

9月3日、決意する。