何となく、ファミリーレストランに寄る。
以前、脚本を書くことになった時に利用していた場所だ。
帰って来たら、脚本を書こう、と考えている。
誰かに恋い焦がれて脚本を書いている訳ではない。
誰かに請われて脚本を書いている訳でもない。
ただただ自分が書きたいから書いている。
脚本なんだから、それを通して誰かが演じる。
その演技を通して、誰かが観る。
ひどく手間のかかる伝達方法ではある。
「物語を紡ぎたい」という暴発した頭で考える。
私の理性はどこにいったのか、血溜まりの中に溶けてしまったのか。
この血は私の頭からなのか、鼻からなのか、心臓からなのか、その全てなのか、暴発した頭では区別も付けられない。
ファミリーレストランに寄ったのは、止血のためだ。
一先ず、当時の気持ちに浸りにいった。
結果、ニ発目が暴発した。
今度はどこから漏れているのか、考えるのも億劫だ。
この血溜まりが沼への入口か。
手には平田オリザ著の「演技と演出」をべっとりと持っている。
帰ったら、一先ず、シャワーを浴びよう。
細かいことは、全部後回しだ。
どうせ血は洗い落とせないのだから、諦めよう。
諦めの良さは当代随一だろう。
いや、我が家系はどういう人種か知りはしない。
私が知らないだけで、諦めの良さは血筋なのかもしれない。
兎にも角にも、血を啜り、脚本を書こうと決めた。