最近のマイブームは質問箱だ。
匿名の誰かから質問が飛んでくる。
それにいそいそと答えて、時間を潰している。
その中に「人生を語って」という質問が来た。
人生を語る、というのは質問ではなく要望かもしれない。
しかし、こういうのが来るのも醍醐味でもある。
以下は私の回答だ。
(人生を)語れるほどきちんと生きていない。
何のために生まれて、何で生きているのか未だ答えらしき答えも見出だしていない。
振り返れば、間違ってばかりで情けなくなる。
「間違ってばかりです」と呟けば、困惑させてしまうのは分かっている。
困惑させたい訳ではないけど、「間違ってばかりです」と言うしかなくて。
ただただ普通に生きることさえ私には不可能で、嫌になる。
意味もなく苦しい朝や、悶えるしかない夜を何編も何編も繰り返してきた。
それでも、私は私で生きていくしかない。
そして、私は私で生きてきた今がある。
これだけ間違ってきたのに、私は息をしているし、目を瞬いたりもする。
私の思考や精神はぐだぐだなのに、私の身体はお構い無しに食べて、寝て、何かしら動く。
ただ日常を送る、それだけで存外何とかなる。
語れるほどきちんと生きていないが、きちんと生きていなくても人生は進む。
結句、成るようにしか成らないのが人生ではないか、と答えにならない答えがぷっかと浮かぶけれど、正確には違うだろうとも感じて、答えにならない答えを沈める。
つまり、人生について語るほど私は思考できていない。
単にこの一言に収斂される感じです。
人生は語れないことを大いに語った。
これが私の思考の一端だ。
人生を語れるような大人物に成れる日は来るのか、果てのない夢を追うが如しか。