午前4時のぼやけ頭、欠伸を我慢しない。
目の奥や頭の芯がジンジンと熱を帯びている。
これはもう、寝た方が良いのかもしれない。
しかし、今日は休みなので死なない。
その上、明日は夜勤なので無理してもイケル。
3回目の大きな欠伸をする。
1月がのそりのそりと過ぎていく。
2020年が過ぎていく。
木陰で寝ているウサギである私は、怠けないカメに追い越されることだろう。
声を出してまた欠伸をする。
これほど脳に酸素が足りないのに、起きていようとする。
果たして正解なのか、どうなのか?
たらたらと過ごす、ふとTwitter上での副主宰とのやり取りを思い出す。
私が「私の在り方」についてぼやいていたら、呆れながらコメントしてきた。
その中で「成長して欲しい」とあった。
成長、今まで生きてきた中で最も縁遠い言葉だ。
成長、今まで生きてきた中で実感がない言葉だ。
果たして、一体、何をもって成長なのか?
堂々巡りをし続けて幾早々、あまりに同じ道を周回し続けたせいで、1周回る速度が早くなっている。
これは成長と言えるのだろうか?
見方によっては成長したと言えるが、何も変わっていないのであれば成長していないと言える。
そう、何かがプラス方向に変わることが「成長」だ。
マイナス方向に変わることは「衰退」となる。
プラス方向に変わること、というが、何をもってプラスなのか?
私においては、「クソ詰まらない脚本」から「面白い脚本」に変われば、成長したことになる。
または「全然響かないプレゼン」から「伝わるプレゼン」に変われば、成長したことになる。
更に「居なくても良い人間」から「居た方が良い人間」に変われば、成長だ。
…どれもハードルが高い。
バベルの塔を日本基準の建設レベルで建築するくらい、ハードルが高い。
バタバタと手足を動かして、地面で蠢く死に体の蟲のような私に達成できるのだろうか?
目下、「面白い脚本」は「私の売り」が何なのか突き詰めて、化かす。
それから「居た方が良い人間」は「私の在り方」への答えでお茶を濁す。
「伝わるプレゼン」は、如何に「私の勝ち方」が分かれば、自ずと決まるだろう。
「売り」、「在り方」、「勝ち方」、これが基準になる。
私の成長の目安として、活用していきたい。
あとは数値化、文言化できれば言うことなし。
午前4時のぼやけ頭、欠伸をそろそろ枯渇してきた。
ああ、良いことに気付いた。
あとで呟いておこう、そうしよう。