昨日は1文字も打たなかった。
更新するのにギリギリであってが、予約投稿システムで過去に飛ばせば問題はなかった。
それでも、何かを書くより更新を選んだ。
1文字でも良い、としていたのに、1文字も打たなかった。
疲れ、もあったが、その1文字の意味を考えてしまった。
書くからには、何かしらの意味があるように考えてしまったのだ。
何も書けなかったら、書けなかったことでの意味があるように考えてしまうだろう、ても考えた。
しかし、1記事くらい何も書かれていない記事があっても良い気がした。
私の中で、何も書かない記事の意味ができたのだ。
そう、1文字でも、私の中で意味が生まれなかった。
何かしらの意味が私の中で生まれる必然性が必要だった。
そのことに今、ぽけらと気付いた。
意味がない、詰まらない、そう投げ捨てるための私の中での理由付けがある。
言葉をぞんざいに扱うために、言葉の意味を尊重する。
矛盾しているようで、私の中では矛盾しない矛盾だ。
昨日は1文字も打たなかった。
それが昨日の私の答えだ。
私は私と向き合うことに拘っている、そのことを再確認した記事である。
必然性の必要性、矛盾しない矛盾、求めて認めて、意味よなくなれ。