あと1ヶ月もすれば、33歳になる。
3と11の素数を掛け合わせているのに、33は素数ではないという数だ。
そして、私という人間が33回の人生の周期を迎えたことも意味する歳だ。
人生を33周も回っているのに、一向に生き上手にならない。
根本的に生きるのが下手なのだろう。
ガチャガチャとコントローラーを操作して、今年ものそっと乗り切る。
33歳、今年の目標がコロナによって頓挫したので、改めて定め直さなければならない。
今年は、やはり「脚本」か。
そのための知識を蓄えなければならない。
Twitterで「観察するには、比較をしなければならないが、比較するためには観察しなければならない。そして、知識を得るには観察が重要だが、観察をするには知識が必要だ」という禅問答のようなツイートが流れてきた。
観察、比較、知識、それぞれの言葉の意味合いをじっくりと飲み込まなければならない。
まずは知識か、多くの人の意見を聞くところからだろうか?
何れにしても、まずはとっかかりが必要なのかもしれない。
どれから手を付けても良いから、まずは何かをする。
観察なり、比較なり、知識なりを何かする。
そうすると、足りないということに気付いて、その足りない部分を補おうとする。
そうすれば、観察、比較、知識の循環ができる、のだろうか?
うろ覚えの知識だ、観察も比較も分からない。
33歳、而立するには、しっかと立とうとしている。
思考の地盤はある。
その上に立つ、立っていられる確からしさを追い求めていくしかない。
33歳、今年の目標を思案して暮れいく4月かな。