ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

「あなたはあなたのままで良い」と伝えるのは当たり前のことだ。

「あなたはあなたのままで良い」と友人に言った。
友人は、「嬉しい」と応じた。
ふと、私はそんな大層なことを言っただろうか、と疑問符を浮かんだ。

 

友人は、「あの人は考える人、私は考えない人」と自分を卑下していた。
私は「友人は興味があることには考えていること」、「考えないことは友人の人付き合いの処世術で必要だろうこと」、「くらべるべくは「昨日」の自分だ」ということを伝えた。
そして、「あなたはあなたのままで良い」と最後に言った。

 

そう伝えた友人は嬉しかったようだ。
私は友人の肩の荷が下りたようで、少し安堵した。
しかし、「あなたはあなたのままで良い」などいうのは、私じゃなくても誰かが言いそうな言葉の気がしてきた。

 

「あなたはあなたのままで良い」という言葉は、友人が生きてきた中で一度も言われたことはないのだろうか?
「あなたはあなたのままで良い」という言葉を、友人は伝えた人は私以前に一人もいなかったのだろうか?
こんな当たり前の言葉を私が伝えるまで、一度も耳にしなかったなど、何かがおかしい、間違っているように感じる。

 

時代は多様化、より個人の資質、生き方のエッジが尖っていっている。
そんな時代に「あなたはあなたのままで良い」は当たり前の価値観のように私は考える。
「あなたはあなたのままでは良くない」とするのは、努力して成長することを前提とするものだが、私の唱える「あなたはあなたのままで良い」はもっと人間の本質だ。

 

人間の本質、人格の核、人生の指針の地盤、そうしたものを肯定する「あなたはあなたのままで良い」とする姿勢は大事だ。
他者を認めなければ、他者と関係する自分の存在も認めないことに繋がりかねない。
また、他者を認めるからこそ、自分の考えも他者も尊重してくれるのだ。

 

当たり前、あまりに当たり前の言葉だ。
むしろ、当たり前過ぎて、誰も言葉にしなかったのだろうか?
喜ぶ友人を見て、私は言葉にしなければならない言葉がある、と感じた。


声を大にして、言葉にしよう。
言葉にしなければならない言葉を伝えるべき人に伝えよう。
たった一言、その一言で荷が軽くなる人がいるのだ。

 

短いが私の持論として、ここにそっと書き残す。

 

「あなたはあなたのままで良い」と伝えるのは当たり前のことだ。

 

以上、短いながらも強く、言葉にする。