ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

ただただ、「ああ、好きだな」と放言するだけでござい。

「本当に好き」が分からないとき、どうしているのか質問箱で聞かれた。

「本当に好き」が分からなくなるのは、くらべた結果ではないだろうか?

私なりに突き詰めて考えてみた。

 

まず、私は「本当に好き」という感覚がないのかもしれない。

「好き」という感覚はあるが、何をもって「本当」なのか私には分からない。

私が「好き」だと感じる物事の多くは、私より知識がある人や、私より思い入れやエピソードがある人で溢れている。

私以上に「好き」と言える人たちがいるのに、私程度が簡単に「好き」と言ってしまって良いのか、疑問しかない。


そも、「好き」と言っている私の感覚、感性自体を私は疑っている。

私が「好き」だと言うのは、その場の空気に流されているだけかもしれないし、勘違いや思い込みかもしれない。

そう考えると、「本当に好き」など存在しないのかもしれないとさえ私には思えてならない。

 

しかし、私の胸の真ん中で、「ああ、好きだな」と感じることはある。

「今を楽しむ」ことが重要な私にとって、その瞬間の「ああ、好きだな」で十分なのだ。

「ああ、好きだな」と感じている瞬間、私は「今を楽しむ」ことができているからだ。

 

過去を振り返ったときも、振り返ったその瞬間に「ああ、好きだな」と感じられれば良い。

未来まで想いを馳せているときも、想いを馳せている瞬間に「ああ、好きだな」と感じられれば良い。

 

だから私にとって本当か、本当ではないのかは重要ではないとも言える。

例え、偽物の好きであっても、私の胸の真ん中で「好き」だと感じたのは確かなこと、と私自身が決めてかかる。

「本当に好き」は分からないが、「ああ、好きだな」と私の胸の真ん中で感じられたのであれば、それで私は満足だ。

故に、「本当に好き」か分からなくなっても、どうもしない。

 

ただただ、「ああ、好きだな」と放言するだけでござい。