人生の究極の目的は幸せになること、という人もいるだろう。
しかし、努力しようが成功しようが、死からは逃れられない。
何をしていたとしても「これが何になるというのだ?」と人生の無意味さに感じ入るばかりだ。
故に最近は「幸せになれなくても良い」というのが私の脳内でトレンド入りしている。
幸せ不幸せは大した問題ではなく、人間社会の構造システムに準じて、ただ生きていけば良い。
主語を大きく言えば、人間はただただ「生きる」だけで事足りる、十分なのだ。
「なぜ生きなければならないのか?」には個別の理由はなく、「生きる」という命題のもと社会が構築されている現実世界において、個々人の感情は感傷でしかない。
即ち、個々人の感傷、「幸せ」という損得から離れられれば、人は自由になれるのではないか?
社会から逸脱しなければ、「なぜ生きなければならないか?」も「なぜ幸せにならなければならないのか?」も問えないのかもしれない。
私自身に振り返れば、「幸せ」も「生きる」も知ったこちゃない。
ある意味で社会から逸脱している私は、うすらぼんやり宙に浮くばかりだ。
「これが一体何になるのか?」と空しくなる暇があるなら、スイカバーでお腹でも壊していた方が余程健全だろう。
ざくざくと思うところをざらざらと書く、晩夏の夜かな。