頑張れ、とは言えない。
もう頑張っているのに、追い詰めるだけだ。
それに私自身が頑張っていないのに、頑張れとは何様だろうか。
無理はするな、とは言えない。
頑張っているのに、手を抜く暇などない。
頑張ることはいつもの自分を越えていくことなのだから、無理しているに他ならない。
あなたならできる、とは言えない。
できるという信頼は、ある種の脅迫だ。
できなかったときにへし折れるのは、言葉をかけた人ではなく、言葉をかけられた人の方だ。
どれだけ言葉を尽くそうとも、所詮は他人事だ。
どれだけ言葉を選ぼうとも、負担になるだけだ。
言葉の重さに怯えて、口を閉ざしてしまいたくなる。
己が定めた道を歩こうとする人を私は頭を垂れて敬意を表する。
重たい言葉を必死に背負って歩く人を、私は遠くから頭を下げる。
歩く人から滴り落ちる汗で跡が残り、その汗の跡を私はじっと見る。
しかし、ふと顔を上げれば。
歩く人が後ろを振り向いているときがある。
そうしてこう言うのだ、「応援して欲しい」と。
当惑する私にただ一言そういって、また歩き出す。
呆然と背中を見て、そして気付く。
歩く人は背中を押す言葉が欲しいのだ。
あれだけ重い言葉を背負っているのだ。
背中を押されたいに決まっている。
しかし、何の言葉をかければ、正解なのだろうか?
私の言葉が負担になりはしないだろうか?
私の言葉が枷になりはしないだろうか?
ただ無言で見送るのが、本当の優しさではないだろうか?
ぐるぐると逡巡して、嗚呼、それでも。
あの背中を押すのには、言葉を発するしかなかった。
遠くにいる私にできる、唯一の方法が、言葉をかけることだった。
一呼吸、息を吸って。
馬鹿みたいに速い心臓の鼓動と、熱くなる頬を自覚しながら。
震える声で、噛みながら、声をかける。
頑張れ。
無理をするな。
あなたならできる。
私が言える、恥ずかしいまでに矮小な、精一杯のエールを、遠くへ歩く人へ。