さて、今からどっと書いていくが、例えば、普段からネタをストックしているかと言えば、全くしていない。
パソコンの前に座って、「さて、何か書くかな?」と指に任せて書いてしまう。
文字にすれば、自ずと言葉になるし、言葉になれば、自ずと文章になる。
と書いてみて、ふと、脚本の書き方と同じだな、と気付く。
もちろん、予め考えたネタ、アイディアを練ってから書くことも十分にある。
ただ、何もなくても指に任せてしまえば書ける部分があるのも事実だ。
私の脚本の書き方はキャラに喋らせて、会話させて、展開させていく。
こう言ったら、こう反応する、とあるから展開し易い。
この書き方は一般的ではないことを去年辺り分かった。
どうやら、世に出回っている「書き方」は私には当て嵌まらないのだろう。
私のように所謂「感覚的に」書く人もいるだろうが、「論理的に」書く人と違って理由説明ができない部分もある。
何せ、フィーリングが合うかどうか、のような具体性のないものだからだ。
フィーリングも具体性を持たせることはできるだろうが、それは論理的思考の人間が論理的に分析するから分かるのではなかろうか?
感覚的思考の人間に、「フィーリングの鍛え方」を聞いても仕方ない気もする。
気付いたらできていた、というのは、論理性を見出し難いのもある。
私は口頭で言うより、文字にした方がイメージが出やすい。
1粒から3粒、3粒から10粒、10粒から100粒とぽつりぽつりと紡いで山にしていく。
それは忙しなく動く指が考えてくれているから、と実に抽象的な答えを言う。
私の書き方は特殊なのだろう。
そういう風に考えている間に、書けた。
飛び跳ねる指のお陰で、今日も1つ、書き上げられた。
さて、次は何をタップする、私の指よ?