仏陀ことシッダールタが悟りを開いたのは、35歳だそうだ。
めちゃめちゃに若い。
想像以上に若造で、ビビる。
もし、35歳のシッダールタが悟りを説いてきたとしても、「お前に何が分かる?」と斜に構える人がいたのではなかろうか?
気になって調べてみたら、当時のインドの平均寿命は21歳らしい。
乳幼児期の死亡割合が大きいことを鑑みても当時の35歳は若くはないだろう。
しかし、シッダールタが悟るのに費やした時間は35年だ。
つまり35年あれば悟れるはずなのだ。
社会情勢や時代背景が違えども、35年あれば世界三大宗教の一つになれるほどの思想を得られるはずなのだ。
翻って、私は現在33歳だ。
来年の5月には34歳となる。
そろそろ34年の月日を費やしているが、一向に悟れる気配がない。
輪廻の輪から解脱するのは無理そうである。
欲に塗れてどっぴんしゃんだ。
それでも足掻くことは止めるつもりもない。
もし、シッダールタが現代にいたら、皆耳を傾けるだろうか?
同じように、生まれながらにして神の子として扱われたキリストの言葉は今の人たちは立ち止まるだろうか?
素朴な疑問である、当時と今ではやはり違うだろう。
あと2年で私はある種の悟りへ道へ入るだろうか。
興味深いことである。
そうして生きて、生きて、生きた先に、何が待ち受けているだろうか?
35歳、この事実にビビりながら、自我を振り返る。