他者との距離感が分からない。
5月24日で34歳になるのに、未だに掴み切れない。
雲を掴むような、蜃気楼を追いかけるような、分からなさ。
嫌な想像だが、この距離感をしっかと分かる日は来ないだろう。
33年もあって、「他者との距離感が分からない」とぼやく人間が、距離感を推し量れるようになれるとは考え難い。
鬱々とした気分ではあるが、受け入れざる得ない部分もある。
距離感が分からないのであれば、相手との距離感を無視していかなければならない。
つまりは、踏み込み過ぎても気にしない、遠退いても仕方ないと考え直す。
諦めとはまた違う、相手と付き合うためのある種の処世術だ。
踏み込み過ぎた時、遠退いた時、気付いたら修正するしかない。
なるべく早く気付ければ、関係も悪化し過ぎないだろう。
最も、トライ&エラーを繰り返したら、相手が苦手に感じて、それとなく距離を置かれるのは目に見えている。
しかし、そうした距離を置かれる状態がお互いに一番良いような気もする。
何故なら、お互いに傷付かない、関わらなければ嫌な気持ちにならない。
この社会で生きていくならば、関わり合うのは必然で、最初から関わらない選択は難しい。
気に置けない間柄になるまでに、気の遠くなるやりとりの往復を私は果たしてできるだろうか?
私以外の人間を私は尊重できるだろうか?
人生の命題の一つである、トライ&エラー、願わくば相手の心を荒らさないでいたい、最小限で。
34歳、向かうところ隙だらけ。
正しく生きるのも、間違って生きるのも、大変だよな、と頬杖を付くばかりなり。