私の怠け癖が露呈している記事だ。
読み返してみると、私はミソジニー、女性蔑視しているのではなかろうか、と感じた。
「家族」という縛りで洗濯物を押し付けているのだから、そうなのだろう。
働きながら洗濯物を済ましている人も多くいるし、母の代わりに洗濯物を取り込んでも良いはずだ。
Twitterで義母がモラハラする義父に似ないよう教育したのに、いざ結婚したらモラハラするようになった夫についてのツイートがあった。
母曰く、私は父に大変に似ているらしい。
父は、古い人間で、カテゴリーで言えばモラハラ男になるだろう。
母に依存している点で、私は人間としてアウトだろう。
もっと家事を手伝うなり、頼り切りになっている面を反省すべきなのだろう。
読み返してみて、何となく嫌な気持ちになったので、私の中で変化があったのだろう。
同時に、母が家事をしてもらうのもそれはそれで大事だろう。
「何もしなくても良い」と料理から洗濯から奪っていくのもやり過ぎだろう。
ある程度仕事がある方が脳には良いのはよく聞くことだ。
私一人であるならば、この記事に書いている通り、困らない。
今現在も大分母に頼っているので、私の本質、ミソジニーな気質も見逃せない。
だからと言って、「家族」の在り方を根本から変えるのは、難しいし、ズレている気がする。
感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
自分の気質と向き合いつつも、相手の尊重したいものを尊重できる人間で在りたい。
まずは、妖怪が出そうな部屋を少しマシにするところからだろうか?
母には母の在り方があり、私には私の在り方がある。
いきなり全てが変わるのは些か無謀に感じてしまうが、何も変わらずにいるのも不誠実だろう。
私の在り方のままに、母の在り方を肯定できるように努めよう。
私は人間を尊重できるだろうか、いちいち躓きながら歩を進めていく。