皆さん、今晩は。
覚えている方はだろうか。
私だ、あの私だ。
忘れてしまったなら仕方ない。
路傍の石になりたい私としては、忘れられるのはむしろ本望だ。
さざれ石がその他の石に紛れて見分けが付かなくなるようなものだから、忘れてしまったのなら仕方ないのだ。
それでも「あー、あのさざれ石か」と覚えていてくれたなら、望外の喜びだ。
他より少しだけ尖っている、あのさざれ石のような私のことを記憶の片隅にでもあるのは、率直に嬉しいものだ。
忘れられても、覚えていても、この文章を読んでくれるあなたは、私にとって良い人だ。
さて、最近はめっきり忙しい忙しいとのたうち回っている。
演劇の方が楽しくて浮き足立っている。
同時に四苦八苦もしており、役者に向いていないと嘆くばかりだ。
役者をやるのは自己追求のためが大きくて、自己を知るのに役作りの過程は中々に面白く感じている。
最近で言えば、「自分から仕掛けるときは足がよく動くけど、相手から仕掛けられるときには足踏みする」が上げられるだろうか。
演じる時に出る身体性の自己の現れは、これこそが私の求めていたことだと感じている。
しかし、演技の技術で言えば、実に酷い。
滑舌やら動線やら表現やら、できないことがドンとうずたかくある。
一つ一つやっていくけれど、本番までにできるようになっているかと言えば、全く自信がない。
演出さんからは「役者に向いている」と言われているけれど、私の性格的によいしょ!としといた方が良い、という判断がありそうな気がしてならない。
嘘ではないだろうが、何をもって「役者に向いている」のかまるで分からない。
ただ、考えても仕方ないかもしれないので、能天気に構える。
そう、私はさざれ石、路傍の石でござい。
今、この場、道の上で転がっております。
私の持てるその瞬間の最大でやっていくしかあるまい。
単なる戯言、忘れてもらっても構わない。
その他の石と同じ、ただの石ころでござい。
ただ、ざらつく表面の小さな石があった、と記憶して頂けるなら、私にとって幸いだ。
夏、自室、さざれ石からどこかの誰かへ。