この前、2連休だった。
その2連休を寝て過ごした。
寝て、起きて、少し食べて、寝て、起きて、少しだらけて、寝た。
合計で何十時間寝たのだろうか?
その所為か分からないが、すこぶる眠くない。
私の身体リズムは夕方から覚醒するタイプなのも合わさって、目が冴え切っている。
不幸中の幸い、明日は夜勤である。
朝まで起きていたとしても、必要な睡眠時間は確保できる。
疲れて眠くなるまで、ざくざくと駄文を書いておこう。
それにしても、2連休をただ寝て過ごすのは勿体ないだろうか?
眠りが浅いのもあるが、2連休では少し物足りない。
やはり1週間、1週間は惰眠を貪りたい。
今も目は冴えているが、欠伸は出る。
実は身体的には休めていない説があるのだろうか?
気絶は実質不眠というのは最近聞いたので、もしかしたら、きちんと眠るというのは難しいのかもしれない。
きちんと眠るのが難しいのなら、きちんと食べるのも難しいのかもしれない。
栄養を偏らないように、身体に必要な分をしっかりと食べる。
成る程、きちんとしようとすれば、日常は困難になるのかもしれない。
そういう日常をきちんとできる人は、きちんとした人なのかもしれない。
2連休を寝倒すような私をきちんとした人はきっと信じられないものを見る目で見るだろう。
きちんとしていれば、2連休を寝て過ごすような愚を犯すことの、寝足りないなどという怠惰もないだろう。
きちんとした人はきっと健康で、頭もシャキッとして、やる気に満ち溢れているのだろう。
それはそれで素晴らしく、立派である。
ただ、惰眠の素晴らしさを説きたい私としては、遠い異国の人に感じてしまう。
悲しいかな、私は怠惰の化身、きちんととは縁もゆかりもない。
少しだけ健康で、ちょっぴり頭もシャキッとして、米粒程度のやる気があれば、私には十分だ。
生き方の違い、と私は布団で寝転びながらきちんとだらける。
次の休みはもう少し何かする、多分。
怠惰に次ぐ怠惰が私ならば、怠惰をきちんとするのが良い。
意外と怠惰もきちんとする、と考えると普通は難しいのかもしれない。
きちんとする、徹底する、何事もやったことないことは困難になるのだろう。
と、やはり掛け布団を蹴っ飛ばしながら、考える。