3連休、実にだらだらと過ごした。
新型コロナウィルスは流行る前だったら、普通に遠出していただろう。
関西方面を攻めてみたい気持ちがある。
今年は10月まで、長野県内で過ごす予定だ。
もっと言えば、安曇野市と松本市圏内くらいで過ごす。
更に言えば、可能な限り人と会わないようにする。
そうなると、だらだらする選択に成りがちだ。
勿体なかったかな、と天井の染みを眺めながらぼんやりする。
だらだらとだらだらして、液状化しそうだ。
来年は、演劇を控えて遠出にシフトするか、演劇するために自粛を継続するか考える。
今の状況はまだまだ続く、終わりはない。
アマビエ様が過労死しないか心配である。
そも、まず報道が終わらないと終わらない。
いや、もう少し踏み込んだ言い方をすれば、報道が終われば終わる。
感染状況が今よりも酷くなったとしても、報道が終われば終わる。
今よりも感染数が爆上がりになって、今よりも死者が増えたと仮定しても。
報道が下火になって、それよりも別の話題、別の脅威が出れば新型コロナウィルスは世間から抹消される。
たとえば、日本国内で内戦が始まれば、感染どころじゃなくなるだろう。
しかし、SNSの発展で良くも悪くも情報が上がる。
お陰で皆、感染に気を付けてマスクをして、手洗いして過ごす。
皆が命を守る行動をしようと声を上げている、素晴らしい。
同時に、脅威があるから色々な制限が出る。
変異株はきっとこれからも入るが、経済を止められないと仕事はするために外に出る。
故に感染がなくなるのは有り得ない、死はいつでも身近にあるのが鮮明になった。
世の人々はそれぞれが十分に慎重に打てる手をすでに打っているだろう。
死にたくないし、死なせたくないからこれからも情報が出る。
私は仕方ないと楽しめるが、「いつか終わる」というのは夢幻だ。
と言いつつ、急にストンと終わったりする。
新型コロナウィルスが終わるとしたら、このストンと終わるパターンだろう。
私が寿命が尽きる前に終わってくれたら御の字だ。
広く、多く、視点を持てるよう心がける。
死はいつでも身近であるのだから、慎重に。
死はいつでも身近にあるのだから、今を楽しむ。
何て事はない、今できる最大限をやるだけだ。
感情が平坦で良かった、と何となく自分の特性に喜ぶ。
次の休みもだらだらと過ごす予定だ。