今週のお題「サボる」
ブログ継続をサボり、9月目前に差し掛かった。
今は7月11日の記事を書いている。
サボりにサボって、久方ぶりに書こうとしたらこのお題、運命めいたものを感じる。
能動的にサボっている訳ではない。
受動的にサボっている。
自分自身の意思決定とは少しニュアンスが違う。
最終意思決定は私がしいているが、その前に大分無為に時間を浪費している。
無為に時間を浪費している間は、「サボるのはよくないよな」の精神である。
しかし、気付いたらとっぷりと時間が過ぎていて、「今日はもう良いか」とサボりを決定している。
面倒が強い、全盛期の吉田沙保里さん並みに強い。
サボりたくてサボっているのではない、時間がないからサボるしかないのだ。
私はサボらされている、そう、もっと私にたっぷりと時間があれば、ちょっとは行動を起こしている。
その上でサボらせているのは億劫さ、憂鬱さ、面倒さだと考える暇だ。
暇さえなければ良い、考えるより行動に移していればもう一歩できている。
暇な時間がいけないのだ、私は何一つ悪いない、法廷で争っても良い。
怠くなる時間があるのがいけないのだ、もっと時間がなければ焦燥感も出る。
だから、もっと私にギリギリまで時間がなければ、ちょっとは行動している。
今日は良いことを言っている、オバマ元大統領の大統領就任演説並みに良いことを言っている。
だから、私をサボっているのは一にも二にも時間が悪い。
万人に遍く等しく流れる時間に、高々地球上の一個体でしかない私がどうこう太刀打ちできる訳がないのだ。
むしろ、それに抗う意志があるだけ、少年ジャンプの主人公たちと比肩し得るポテンシャルが私は秘めているのだ。
だから、たっぷりと時間があって、ギリギリまで時間がなくなれば、私もサボらずに書ける。
矮小な私ができることなど、時空の狭間で手足を虫みたいにバタバタ動かすぐらいだろう。
なので、受動的にサボってしまうのは最早定め、仕方ないのだ。
さて、今日も抵抗しようかね、悠久の時間とやらに…!