ネガティブ方向にポジティブ!

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1410(困惑する目的)

今年、所属する劇団で公演を打つ、と決めている私は、ある壁にぶつかっている。

「どうしてお客さんに見せたいのか?」である。

自分の考えを整理して悩む。

 

まず、前に見かけた、「「ゴール」や「目的」と似たような言葉の違いの図」が個人的にややっと感じたので、その図を元に考えた。

似た例として上げられたのが「夢」、「ゴール」、「目的」、「目標」、「ビジョン」だ。

私の解釈で考えているので、元図の意図とずれているかもしれないが、 考える元としてなら丁度良かった。

 

「夢」とは、こうあったら良いな、こうしたいな、という将来への希望や欲だろう。

未来にしたい、できたら良い、という欲が「夢」だ。

「夢」は燃料みたいなもので、「夢」があるから動ける部分はあるだろう。

 

「夢」は思い描き始めたら、際限なく拡がり続けるから、何か目印がないと「夢」は形に成さない。

その「夢」を形にする、一つの区切りとして「ゴール」を設定する。

現実に行動して形にするために「ゴール」がある。

 

その「ゴール」の具体的なイメージが「ビジョン」だ。

「夢」が原材料で、「ゴール」が形なら、「ビジョン」は細部の拘りだろう。

「ビジョン」がしっかりある方が「ゴール」への道筋も分かるし、「夢」も叶い易い。

 

この「ゴール」はどうしてやるべきか、どうして形にするのか、 が言語化したのが「目的」だ。

この「ゴール」を達成するのは、ある事由があるから「目的」がある。

「ゴール」を目指す「目的」が行動の理由でもある。

 

その「ゴール」は遠ければ遠いほど難しくなる。

だから小さいゴール、「目標」が設定される。

大きい最終的な一区切りである「ゴール」に至るまでの道筋の間々に小さな一区切りである「目標」を作る。

 

それを踏まえて、「2022年に劇団ぱすてるで有観客で公演を打つ」と考えた。

「2022年に劇団ぱすてるで有観客で公演を打つ」は上記の定義で考えれば、「ゴール」に当たる。

劇団員に示す道筋である「ビジョン」は劇団員と話していかなければ決まらない面もあるが私個人のイメージは大体ある。

 

「夢」はめちゃめちゃにあり、あり過ぎて飽和状態だ。

その中で「演劇をやりたい」という欲がある。

私のような人間には「夢」を語らせるよりも「ゴール」はどこなのか、を考えさせた方が良い気がする。

 

「目標」も各個人で考えてもらいたい部分がある。

「ビジョン」が固まれば自ずと「目標」も見えてくると考えている。

例えば、「ビジョン」に「観客100人」とあれば、それを達成するための「目標」も設定できるだろう。

 

問題は、「目的」だ。

なぜ「2022年に劇団ぱすてるで有観客で公演を打つ」のか?

私はどういう「目的」を持って行動しているのか、を考えると、自己満足の域を出ていないのだ。

 

なら「有観客」である必要がないのだが、演劇は「役者・場・観客」があって成立するので、私の「夢」である「演劇をやりたい」から言えば「有観客」は絶対条件だ。

そうなると「どうしてお客さんに見せるのか?」のその「目的」が分からなくなってしまう。

私は「誰かに見せる」ことに対して「須く自己満足で良し」としていた姿勢が、事ここに至って致命的な欠落になってしまって悩んでいる。

 

これが私一人で成立する、例えば一人芝居なら「それでも尚自己満足で良し」と腹を括って臨める。

しかし、「劇団ぱすてる」で芝居、演劇をするのであれば「あなたの自己満足に付き合わされるの?」と言われるとほとほと弱い。

まず、劇団ぱすてるのみんなに説得できる「目的」、「どうしてお客さんに見せるのか?」をどうにか叩き台でも良いから出したい。

 

どう相手を動かしたいか、観客をどう感じてもらいたいのか?

相手を楽しませようとする手段ではなく、相手に受け取ってもらいたい事由は何か?

ここまで言語化しても分からないな、と根本的な部分でぐるぐるする。

 

答えを出せずに困惑深まる雪の夜、1月5日から。