ネガティブ方向にポジティブ!

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1479(人と接するときに大切にしていること)

久方ぶりに質問箱を覗くと、またぞろ難しい質問があった。

「人と接するときに一番大切にしていることはなんですか?」

人と接する時に大切にしていること、果て私は人と接する時に何を大切にしているのだろうか?

 

大切とは「もっとも必要であり、重んじられる様」である。

私が人と接する時に必要だと感じている、重きを置いていることは何であろうか?

私は何を重きに置き、必要となのか、文字を打つ指が止まる。

 

コミュニケーションが基本下手な部類の人間だ。

それは、私が空回りし易い性質で、人との適切な接し方が分かっていない認識が強いからだ。

他者より一歩距離を置かれている、私との間に薄い壁を感じてしまう。

 

そんな私がいつも気にしていること言えば、相手の快不快であった。

「相手が嫌な気持ちにならないように」、「相手が面白がってくれたら」という点をいつも気にしていた。

曖昧な態度で居られるより、「あなたが苦手」とはっきり明言してくれた方が安心した。

 

中学の頃に「あなたが苦手」とはっきりと明言してくれた人がいた 。

ならば距離が取れる、なるべく一緒にならないように、声をかけないように心がけた。

向こうは私を苦手かもしれないが、今でも私は在り難かったと感じている。

 

最近知ったのだが、3年前の私は他者との距離感が異様に近かったのかもしれない。

確かに私は相手が興味を持った時に相手のパーソナルスペースに一 歩踏み込んでいた。

距離感が全く分からなかったから、いっそ一歩踏み込んでしまって、相手が離れてくれた方が楽だったのだ。

 

3年経って、私の評価が「丸くなった」と聞き及ぶ。

無理して距離を縮めたり、離れたりしなくても良くなったからかもしれない。

今でも他者との距離感は分からないが、急な踏み込みは減ったかもしれない。

 

好かれるよりも嫌われたい、というのがずっとあった。

一人でいる方が楽だったし、相手を嫌な気持ちにさせたくなかったから、道化で居たかった。

今は相手が嫌な気持ちになっているとしても、向き合わなければならない、という意識になりつつある。

 

心境の変化か、演劇が私にもたらした影響は私の在り方にも変化を与えたのだろう。

ただ、やはり、今までのやり方は変わらない。

私は声を上げて、相手の顔色を伺い、丁度良い距離感を探る。

 

言葉にするならば、私が人と接する時に一番大切にしていることは、「相手との距離感」だろう。

近過ぎず、遠過ぎず、お互いに心地好い距離感を見付けようと探る作業が私にとって一番大切だ。

人の数だけ、状況によって変わる他者との距離感は一生習得できないだろうと感じつつも、 自分の性質と鑑みながら恐る恐る探りたい。

 

質問箱には、シンプルに「他者との距離感」とだけ書いておこう。

随分放っておいてしまった質問だ。

SNSの向こう側の距離感も加味される現代は昔より人との接し方が難しくなっているのではないか、とふと頭を過る。

 

人と関われば、相手をどうしても煩悶させる場面がある。

存在し続ける限り、誰かしらを傷付けてしまう、善意だとしても。

果てのない大海原をイカダで漕ぎ出すような、不安と期待を持って他者と関わるしかない。

 

転覆しないようにがむしゃらに漕ぐ、これをもって回答としたい。