地表をチンチンに熱するような暑さが照りつける。
強い風が吹き抜けて、私のスカートをはためかせる。
6月24日、夏本番まで秒読みに入った。
今日も今日とて頭の中を言語化していく。
役者陣が分からないと言ったことを考える。
つまり、「具体的だけど、現実的ではない」という発言について言語化する。
具体的と現実的は類義、類似の意味合いで使われるだろう。
具体的とは現実に形に出すことだし、現実的とは形を具体化することだ。
具体的なのに現実的ではないは、一体どういうことだろうか?
これを言語化するには、睡眠中に見る夢を例えればイメージがつくか。
ある夢を見て、それを説明すれば、その夢は具体的な言葉で表される。
しかし、夢は具体的な言葉で表されても、相手は現実的に捉えられない。
「空を飛ぶ」夢を見た私は詳細に、具体的に説明できる
しかし、「空を飛ぶ」のは相手には現実的に感じられない。
フィクションとリアルの断絶がある、ということだろうか?
私は今回の演出のイメージを具体的に説明できる。
私は如何に「空を飛ぶ」か、伝えている。
それが現実的ではない、形にするのは不可能だと相手が感じているのかもしれない。
しかし、演出の私が言葉にしているのは演劇、芝居である。
リアルではなく、リアリティがあれば良いのだ。
即ち、「実際に物理的に空を飛ぶ」ではなく、「観客が「空を飛んでいる」と感じる」である。
私のニュアンスも「空を飛んでいるように見せる」にはどうしたら良いかうんと説明している。
役者陣には「いや、「空を飛ぶ」のは分かるけど、どうしたら「空を飛ぶ」のか分からない」と言うことかもしれない。
まだまだ演出が言語化できていない部分があるので、そこは鋭意取り組む。
ただ、私は感覚として「具体的だけど現実的ではない」に疑義を抱いている。
何故なら、私としてはこれ以上ないくらいに現実的だからだ。
「空を飛ぶ」のではなく、「空を飛んでいるように見せる」のは現時点でもできるはずなのだ。
まず、現時点で戯曲がある。
オリジナルの戯曲で、すでに完成稿として座組に手渡している。
あとは役者が戯曲を覚えてもらい、稽古を積めば良い。
場所のイメージもある。
観客席や、舞台上のイメージもある。
照明と音響のきっかけのイメージもある。
制作とも話をして、足りない部分はその都度案を出している。
役者が誤解したら、謝りつつ、説明している。
今現時点で揃えられる具体的はイメージは用意できているのだ。
変な話、現時点で芝居を打てるのだ。
ただ、役者がまだ戯曲を覚えていないし、必要な物が今ここに無いだけだ。
私の感覚だと逆にどこが現実味がないのか、分からない。
いつどこで5w1hのような具体性が欲しいのか?
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのようにするのかが欲しいのか?
しかし、大まかな流れはすでに三役会で確認したし、躓いたらその都度相談していく流れではなかったか?
私が気にしている部分と、相手が気にしている部分が違うから戸惑う。
私の気にしている部分は相手は了承していると言うか、気にしていない。
逆に相手が気にしている部分が、私は問題ないとしか言い様がない部分があったりする。
ただ、演出は「やってもらい勝ち」だ。
これで「やれない」と言われたら、負けなのだ。
お互いに首を傾げながら、私は相手ににじり寄っていくしかない。
頭をチンチンに熱するような暑さが照りつけた。
強い風が吹き抜けて、夏の彼方へ。