ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

112

上田から松本に帰るのに、下道を選んだ場合。

つづら折りの山道を通ることになる。

二車線のから真ん中の白線が消え、カーブは谷底へ蹴落とそうとする悪意があるのではないかと錯覚するくらいに曲がりきった道を走ることになる。

 

高速道路は料金を取られるが、山越えのことを考えれば、安全な道だ。

下道での山越えは、変な話、よっぽどの変わり者か、事情を抱えた訳ありか、何も知らずに迷い込んだ人間かくらい選択肢として最悪なものだ。

夜ともなれば、より視界が狭くなり、選択肢から除外した方がある意味、健全だ。

 

そんな私は山越えは好きだったりする。

高速道路ではあれだけ自動車が走っているのに、下道では中々出くわすことはない。

そんな道をひたすらに、曲がり続けて走るのは、スリルがある。

日常にはない、非現実感が山道にはある。

 

横を見るのも怖かったりする。何か得体の知れないモノがいそうな気配がするからだ。

30分ほど前を行く自動車とも、すれ違う自動車とも会わないと、この道は本当に正しい道なのか、不安になる。

そうした道をひた走って、目の前に、軽自動車を見付けると、ほっとする。

それが初心者マークを貼ってあると、にやつきが止まらなくなる。

 

目の前の自動車はとろとろと走る、当然だ、不慣れな人間なら山道は未知過ぎる。

初心者マークは斜めに貼られており、それが申し訳無さそうに頭を下げているようにさえ感じる。

目の前の自動車の運転手は気が気じゃなかったろう。

バックミラーににやにやしながら追随する男が映っていたら、さぞ怖いだろう。

 

耐えかねたのか、道幅が広がったところで、道を譲られた。

私は追い越し、サンキュウハザードをして、颯爽と走った。

そうして、他の自動車に出会う、二車線の普通の道になるまで、私は再び一人で走った。

 

最近あった、下道でのこと。

あの、初心者マークの彼らは、無事、山道を越えられただろうか?

選択肢を間違えた彼らに、このことを教訓になれば良いと変わり者は勝手に願う。

 

投稿します。

111

昨日の帰りに先輩に呼び止められた。

「サニテーションを書いて」

果て、サニテーション?と動きを止めた私に一枚の書類をぴらり。

項目を見ると、機械の名前と清掃内容がずらり。

どうやら、清掃をした確認表のサイン欄に私の名前を記載してほしいよう。

項目の一つに、確かに私が担当した機械があり、成る程と納得しながらサインをする。

先輩は、「帰る前にちゃんと書いて」とぴしゃり。

あはは、と笑いながらうっかり帰る所であったことにひやり。

次回は、忘れないようにしようと決意。

 

それにしてもサニテーション、耳慣れない言葉だ。

横文字自体、そんなに得意ではない。

気になったので、ちゃっちゃと調べた。

 

サニテーションとは、店舗内の衛生面を清潔にするための、殺菌作業や洗浄作業などを意味します。

サニテーションとは | 用語解説

 

食品工場だから、サニテーションは重要だろう。

と考えて、先輩の言葉を思い出す。

 

「サニテーションを書いて」

 

サニテーションは、衛生面における殺菌、洗浄業務全般を指す言葉だ。

書いてほしいのは、その業務をしたことの書類のサインだ。

なので、正確に言えば、「サニテーションをしたので、担当をした人は、この書類に書いて」だ。

「サニテーションを書いて」は言葉が足りないのだ。

 

しかし、色々と省いているが、「サニテーションを書いて」で大体のことは伝わる。

実際、先輩と他の人の会話で「サニテーション書いた?」、「今から書くよ」と何の問題なくやりとりできている。

「サニテーションを書いて」

きちんとした意味で言えば、微妙に違うのだが、やりとりする分には十分に伝える。

 

言葉の使い勝手の良さに、サニテーション。

 

投稿します。

110

お盆が過ぎ、昼が過ぎ、太陽が雲に隠れた頃。

長野県中信のとある田舎の、それなりに車が通る農道沿いの借家に。

歳は30歳、お腹を凹ませたら肋骨を掴めるくらいの中肉中背の、詰まらない一人の男が居て。

薄明かりのダイニングルームのテーブルのパソコンに向かって、110記事目のどうでも良い記事を書いていた。

強制でも義務でもないが、「継続する」することで、自身の愚かさを律し、慰めにしている。

 

両目共に0.3以下の視力で、乱視もある私の両目は、ディスプレイの文字を追いながら、同時に、パソコンの周辺にある未だ読んでいない漫画や、空になったプリンの容器を、ぼんやりと見ている。

ほとんどの音を拾えない、機能していない左耳の代わりに働く私の右耳は、遠くで時折走る車の走行音や、鳥のさえずりや、風で舞う木の葉がコンクリートを擦る音を、そっと聞いている。

日に焼けると薄く白く剥がれた皮膚が、鉄板の上で踊る鰹節のように鼻頭を覆う私の鼻は、きっと何かの微粒子が舞う部屋に居て、しかし慣れきってしまい、ほぼ無臭に感じ、呼吸する空気の質感だけを、鼻孔に伝える。

濃い味付けで毒されて、繊細さを失われた私の舌は、歯茎に残っていた朝食べたトマトの皮を転がし、温い唾液と共に喉の奥、胃袋へと押し流しながら、朝の記憶をよぎらせる。

衣服の着擦れと掻きむしりでできた赤黒いカサブタと、てらてらとしたビニールのような傷跡を所々に作っている、私の皮膚は、私の身体から発する熱と外気の境を、数字で表さない温度という形で、私に夏と秋の境を教えてくれる。

 

「私が居る」という何の変哲もない状況を、事細かく描写するのは、中々難しい。

何の変哲もない、ただ「私が居る」という状況を、分解し、細分化し、再構築する意味はあるのだろうか?

詰まらないことを書く当ブログの趣旨、「私」の追求する上での認識の確認、思考する手順の再考、取って付けた理由であっても、意味としては成り立つ。

 

「私が居る」、ただそれだけのこと。

スグリーンの革で包まれた、クッション性のある座がある、木製の椅子に座りながら、今日も「私」を考える。

 

投稿します。

109

左足の脛に中々治らない傷ができた。

パンツで脛が擦れるためではないかと考えられる。

私は、皮膚が弱いため、ちょっと擦れるだけですぐ傷になる。

 

脛の傷があまりに治らないので、キズパワーパッドを使った。

貼ってから程なくして、白くぷっくりとした丘ができた。

この状態でしばらく放っとくと良い、とのことで様子を見た。

 

3日後の今日、白い部分がどんどんと膨らみ、キズパワーパッドの端の部分まで来た。

頭頂部の部分は若干黄色くなり、これは貼り替えた方が良いだろうと判断して剥がした。

 

剥がすと、中にはグズグズになった白い体液の塊がキズパワーパッドのべっとりとついていた。

人の肉が腐ればきっとこんな匂いになるのだろうと想像するような、名状し難い悪臭がした。

軽く傷口を拭いて、新しいキズパワーパッドを貼った。

 

現在、あれだけこんもりとした白い丘は見る影がなく、月のクレーターのようなぼこぼこした表面になっている。

次に剥がした時、またあの生臭い、じめじめした、強烈な悪臭をするのだろうか?

もし、そうだとしても、仕方ない。

傷が治ることの方が大事だ。

キズパワーパッドの表面を撫でて、薄く笑う、8月16日。

 

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108

夕方、涼しいと言うより、肌寒く感じるようになってきた。

暑さ寒さも彼岸まで、夏の終わりと言った風情だ。

 

寒くなってくれば、油揚げの消費が増える。

油揚げは汁物など熱い食べ物に使われる傾向があるから。

つまり、これから忙しくなるだろう。

 

忙しくなることは、良いのかと聞かれれば、良い。

ただ、なるべくゆっくりしたい私としては、嫌かと聞かれれば、嫌だ。

ああ、もう、面倒この上ない。

 

夏の暑さはいなくなった。

不思議と、あれだけ疎ましかった暑さが恋しくなる。

夏の終わりの寂しさのせいだろう。

 

もうちょっと寝てから出ることにする。

ふて寝でもしないと、寂しさを紛らわせられない。

 

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