ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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ぬかるみを踏んで右足が沈んだ。

一瞬、姿勢が崩れるが、慌てず、左足をアスファルトに着地させる。

沈んでいた右足は宙に浮き、何事もなかったかのように左足の前に行く。

 

昨日から降り続く小雨が、剥き出しの土を水分を多く含んだ泥にした。

しとしとと傘を差すほどではなかった。

まさか、ピサの斜塔くらい身体が傾くほどのぬかるみだとは、考えなかった。

 

雨が避けられる所で、右足を確認する。

ほんの爪先に、申し訳なさそうに砂利の混ざった泥が乗っているだけだった。

あれだけ沈んだのに、右足は何ともなかった。

ひとえに、左足の機転のお陰なのだが、右足はその事を分かっているだろうか?

 

帰りの道で、きっと見る。

ぬかるみに残った右足の跡を。

その時、右足はどんな顔をするのか、今から期待する。

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時間とやる気と話の種が失踪した。

辺りを見渡しても、何処にも見当たらない。

 

どなたか、私の時間とやる気と話の種を知りませんか?

もし見かけていたら、何処にいたのかお教え頂けませんか?

 

私の時間は、おおらかと言いますか、マイペースと言いますか、ゆっくりと、時々立ち止まって一向に進みません。

私のやる気は、自由と言いますか、無邪気と言いますか、あっちこっちと動き回って目が離せません。

私の話の種は、夢想家と言いますか、壮大と言いますか、次の行動が全く読めず、困惑するかもしれません。

 

それでも、私には必要なのです。

もし、見かけたら、ご一報ください。

お騒がせして、申し訳ありません。

何卒、よろしくお願いします。

暗闇は、都合良く、自分本位な私を隠す。

暗闇を取っ掛かりに考える。

 

1月12日の夜更けに、私はオープンマイクのイベントに参加していた。

誰でもステージの上で好きにパフォーマンスができるオープンマイクは、様々な背景の人たちが参加する。

「ステージに上がりたい人は挙手で」と主催者の方が声を上げ、誰ともなく手が挙がり、パフォーマンスを披露する。

 

何度目かの「次にやりたい人は?」の声かけの時に、私は意を決して手を挙げた。

ステージに上がると、手狭な会場がよく見える。

マイクを一本用意してもらい、逸る鼓動を押さえ付けながら、私は主催者さんにあるお願いをした。

 

「私が「お願いします」、と言ったら、明かりを消してください」

主催者は面食らった様子であったが、快く受けてくれた。

そうして、私の合図と共に、照明が落とされた。

 

最初は暗闇で何も見えないのだが、自然と足下からぼんやり、人の姿が見えてくる。

千草色にそれぞれ人の輪郭や、衣服の縁取っている。

しかし、その顔は墨を零したように、黒く見えない。

暗闇の中、私はマイクに向かって喋った。

 

何故、暗くするのか?

理由は様々にある。

 

それは。

私は、「私」を追求している。

「私」を追求する中で、最近は、この身体こそが「私」ではないか?と考えるようになった。

著書「弱さの思想-たそがれを抱きしめる-」の序盤に、愛を伝えるには身体が必要だ、といった趣旨が書かれていた。

uenokoeda.hatenablog.com

 

身体があるから、「私」と「あなた」を分け隔てる。

身体があるから、「私」は「あなた」に触れることができる、ぎゅっと抱きしめられる。

空間を限定し、時間を現在に留めて、老いや病や死を迎える、この身体こそが「私」ではないか?

故に、身体そのものの境目が「私」の境目だ。

 

だとするならば、暗闇の中、話している「私」と「あなた」の境目は何処にあるのだろうか?

身体の境目が、暗闇によって隠されてしまった。

今、こうして、話しているのは、「私」なのか?それとも「あなた」なのか?

暗闇は、境目をなくす。

 

それは。

暗闇とは、内省する装置ではないだろうか?

Twitterで以下の文句があった。

 

沈黙の実りは、祈りだ。

祈りの実りは、信仰だ。

信仰の実りは、愛だ。

愛の実りは、奉仕だ。

奉仕の実りは、平和だ。

___マザー・テレサ 

 

 

沈黙をする場面は様々だが、沈黙は何の実りか?と考えれば、内省・内観ではないだろうか?

自身を振り返ること、振る舞いを考えることにまず、自分の内へ入り込むから、沈黙する、と私は考える。

そして、内省するには、暗闇は打って付けだ。

もしも、私が、ここで話すのを止めたら、訪れるのは、静寂だろう。

暗闇は、平和へと繋がる、かもしれない。

 

それは。

目に見えないからこそ、次に期待する装置になるのではないか?

見えないからこそ、次の展開を期待させる。

何が起こるか、視覚の情報が閉じられた中、他の五感、耳や肌で感じ取ろうとする。

何も起きないかもしれないし、とんでもないことが起きているかもしれない。

暗闇は、未来を見せてくれる。

 

「というすべては建前で、本当はやってみたかったから、やってみた」

どうなるか分からないから、やってみた。

私は事も無げに、そう言った。

観客としては肩すかしも良い所の、あまりに自分本位な結末だ。

 

暗闇は、手元さえ隠す。

だから、自身の内に自然と向かうように感じる。

だから、内の中の、明るさを求めるのかもしれないし、暗さに気付いてしまうかもしれない。

かもしれない、私には丁度良い言葉だ。

 

暗闇は、都合良く、自分本位な私を隠す。

 

何となく、満足して、照明を着けてもらう。

ぱっと着けられた照明に、目が眩んだ。

嗚呼、地面に影で縫い付けられるように、私をその場に留めさせる光だ。

光とは、何て恐ろしいのだろうか。

最後、私は、胸の内で悲嘆しながら、舞台から降りた。

 

夜が更ける、1月12日に、私は暗闇を手に入れた。

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まあるい蓋。

エレベーター。

蜂蜜とレモン。

僕らはいつも二人三脚。

七転び八起き。

殊更に驚くウナギ。

ニルヴァーナ

やもめかもめの子守唄。

泣いて馬謖を斬る

瀟洒な居酒屋。

咬まないトカゲ。

そして、穴に落ちる。

 

頭の中の言葉が、にっちもさっちもどうにもまとまらない。

去来する言葉を羅列する。

 …意味が分からない。

これで一文、作ろうとすれば、できなくもないだろうが…

頭の中はとっ散らかったままなので、これで投稿する。

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