6月の『チェーホフ・フェスティバル』でやった短編『結婚申込』について端的にまとめる。
『結婚申込』は地主のスチャパンの娘ナターリアに隣人の同じ地主のローモフが結婚の申し込みに行くところから始まる。
最初はお互いに恥ずかしがりながら雑談をしていくのだが、ふとローモフが御牛ヶ原は自分の土地であることを言う。
するとナターリアがその土地は私の土地だ、と主張して喧嘩が始まる。
このローモフ、心臓病を患っていて興奮すると呼吸困難になってしまう。
喧嘩がピークになるとローモフは今にも倒れそうになりながら一旦引っ込む。
こうした結婚の申し込む前に喧嘩が挟む可笑しさがある。
私は今回ローモフ役をやらせて頂いた。
稽古自体は順調に進んだが、自身が如何に動いてしまうのかよくあった。
稽古の終盤、私は相手に目線を送っていたのだが、相手から「目線が来ない」と言われる。
送っているのに、と考えていると演出から「目線は送っているけど、首が前後左右に動いている」と指摘された。
完全に無意識だったのでそんなに動いていたのか、と驚いた。
慣れてくると今度は「膝でリズムを取り始める」と指摘される。
身体が先に動いてしまう、上も下も細かく動いてしまう。
一回の情報量が多いのだ、それも無意識にやってしまっている。
本番では最初、勢いよくやり過ぎた。
全体的に私が早かったようなのだ。
ゆっくり目を意識していたのに驚くばかりだ。
千秋楽では止まるのを意識的に取り組んだ。
しかし、今度は感情の起伏が乏しくなった。
ベクトルが自分に向き過ぎたのかもしれない。
私は人よりも観客の引力に引っ張られ易いのかもしれない。
観に来た方に楽しませようとする余り、芝居に集中できてない。
相手からの発信を受ける能力が壊滅している。
演じれば演じるほどに私は感情の機微を表現できる役者ではないのが分かる。
感情の機微を感じ取れないのだから表出もできない。
形から役作りをしているのでなく、形からでしか感情の機微を理解できないのだ。
この1年を通して益々下手になっていく気がする。
役者として頑張ったが、今現在私の力量を知る。
来年以降も役者として取り組む機会を探す。
少しでも巧くなりたいが、巧くなるには途方もない。
10年先に少し見栄えがする程度の役者に収まりそうな予感がする。
それでも今よりは巧い役者になれれば良い、とぼんやり考える。
6月を経て私は評価するに至らない役者のままだ。
うだうだ言っても仕方ない。
細かい部分を意識していく。
まずは止まる、一にも二にも止まってから動く。
まだまだ未熟、腐る前に努めて顔を上げいく。