主義主張は置いといて、ビジュアル広告としては見習いたい。
とある看板を取っ掛かりに考えます。
夕方仕事に向かう時、朝帰路に着く時、私は20分かけて自動車を運転します。
その道すがら、目に入る看板があります。
それがこちらの写真です。
戦争法とは「安全保障関連法」についてでしょう。
覚えている方はいるでしょうか?シールズが国会前で演説?をして盛んにマスコミが取り上げていました。
2015年12月頃に私はシールズや安全保障関連法について考察してFacebookに投稿しています。
時間にして1年と3ヶ月前のことです。最近はめっきり聞かなくなりましたけど、看板はしっかりと主張しています。
2年近く、主張し続けた姿勢には脱帽します。
私の政治思想としては、安全保障関連法は必要だと考えているので、この看板の制作者とは意見の相違があります。
ただ、思想の自由を認める我が国においてどのような思想であっても持つことは認められて然るべきです。
また、2年近く掲げるのは中々の胆力だと私は感じるので、一度は話を聞いてみたいです。
それとは別に、この看板の効果と言いますか。広告として優秀じゃないのか?と。
そこら辺を感じたことを書きます。
まず、大きさは畳み一畳分はあります。それだけで結構な大きさなのですけど、色が黄色を背景に黒と白、アクセントに赤とシンプルかつ目立つ色使いをしています。
文字はゴシック体?で文章の大きさでメリハリを付け、且つ中央揃えで綺麗に揃えてます。
色の使い方や文字の組み方から広告のプロフェッショナルな方が関わっていると考えられます。
またはパソコンで画像を作ったか?女の子のキャラクターの線が均一なので要らすとライターやフォトショップなどで作成したかもしれません。
とにかく、目立たせることには成功していると言えます。
大文字の「戦争法はゆるさん!」は言いたい事を集約させている良いキャッチコピーの気がします。
また、例えば「戦争法はゆるさない!」となると「ゆるさない」の部分は小さくするか文字を詰めるか、等全体のバランスが悪く感じました。
短く言い切ることで、覚え易さと同時にビジュアルも良くしているのではないでしょうか?
赤文字の文章の下の段の「選挙でひっくりポン!」も秀逸な気がします。
まず「ひっくりポン!」と言う謎の言葉が興味を引きます。小学生の子どもだったら「ひっくりポンwww」とか言って仲間内で囃子言葉に使われそうな感じがします。
「ひっくり」の部分を文字色のメインの黒にする辺りが素晴らしいです。
私だったら赤一色にするか、ひっくりポン!を赤色にするかにしそうです。同じ黒なのにきちんとアクセントになっているのでちょっと感動しています。
「ひっくりポン!」や「だまってられない村民だあ」の最後の「村民だあ」は「ゆるさん!」と同じく全体のバランスを整えるのを目的にしているのでしょう。
「ひっくり返す!」や「村民だ」だと真面目な印象になります。
これを「ひっくりポン!」や「村民だあ」にすることで内容のマイルドに緩くさせています。
政治主張の過激さを和らげているこれらの文字選びからもライターのセンスが伺えます。
キャラクターの女の子。何処にでもいそうなありふれた容姿をしています。
見た感じ、幼い印象がある気がします。これが写実的だと過激な印象に変わるような気がします。
ありふれた容姿のこの女の子の名前、横に小さく書かれているのですが、「ダマッテラレナイちゃん」というそうです。
今回、この記事を書こうとしたのがこの名前です。
私は(何つー名前なんだ)とかなり驚きました。だって「ダマッテラレナイちゃん」ですよ?こんな名前だと「ちょっと、ダマッテー。あ、喋って良いよ?」とか超弄られるじゃないですか。
そも、ダマッテラレナイまで繋がった名前なのか、それともダマッテが名字でラレナイが名前なのか?
ただ、インパクトは凄いので、広告としては良い気がします。
ターゲットは…小中学生でしょうか?全体的にゆるく馴染み易いので子どもの頃から抵抗を薄くさせる、とか?
もしくは、インパクトを植え付けると言う点で言えば、自動車運転者がメインかもしれません。疲れた脳にこの看板が目に入れば、自然と洗脳(言葉は悪いですが)されることに。
何れにしても、広告としてはかなり優秀だと、私は感じました。
あえて、言い切る。
主義主張は置いといて、ビジュアル広告としては見習いたい。
いやー、何かデザイン系のプロフェッショナルはこの看板をどう評価するでしょうか?
あ、因みにこれは看板と言う建造物の写真です。
(ポスターだと複製品になってブログに写真をUPしてはいけないらしい。建造物だと著作物?となって写真をUPできるとあったので、念のために)
何はともあれ、これで良し。
@一区切り、斯くも尊し、然もあらん。
閑話休題。
今日も今日とて某云々と書こうと当ブログを開きます。
ふと、今何記事程度書いたのだろうと、ずずいっと下へスクロールします。
月別アーカイブで表示された数字を適当に足すと200となります。
3回ほど計算し直してみましても、200となります。
どうやら、昨日の記事で200記事作成していたようです。
作成速度が日に1回になってしまいましたから、もう少し先な気がしてましたが、そこそこ書き溜めていたようです。
リライトもせず、ただただ詰まらない文章を200記事。
何と言うか、トイレから戻ると自分の席に隣のクラスの人が座っているような困惑があります。
読者さんも気付いたら31人、某アイスクリーム店で毎日違うアイスクリームを買える人数です。
私のブログの何に琴線に触れたのか?単に読者登録をしてくれたからお返しにしているだけなのか?
これからも増えるのだろうか?謎ですね。
当ブログの初投稿記事が9月3日、昨日で半年ブログ運営したことになります。
丁度半年で200記事、凄く区切りが良かったのにうっかり過ごす辺りが無能感を漂わせます。
ペースが落ちていますけど、このままのペースだと来年の9月には400記事程度のボリュームに。
1000記事は当分かかりそうです。残念。
半年間、継続して記事を書いたからこそ到達した点は素直に喜ぶことにします。
一区切り、斯くも尊し、然もあらん。
とにかく、継続します。はい。
疲れない程度に。
次は300記事へ、前進。
私には向いてないだろうが、私のやりたい仕事を選べば一先ず後悔はしない。
続ける仕事を取っ掛かりに考えます。
何となく、「才能」について書くとPVが微増しています。
それとなく、興味が持たれる記事が一つ判明かもしれません。
そこはかとなく、「才能」について書き続けようかな?とふと思います。
それで書くことは仕事についてです。
才能についてではありません。
気が向くままに書いていきます。
休憩中に勤続10年だと言う方からの忠言。
「一稼ぎするには良い仕事だけど、長く勤めるような所ではない。辞めて、別の場所を探した方が良い」
今年は人の忠言を聞こうと考えていますので、真摯に聞きます。
前職でも理由は違えど「長く続ける仕事ではない」と言っていた方がいました。
その時は私は向いている仕事だから、続けてみたい気持ちが強かったです。
今の仕事は、長く続けたいか?と問われるとそんなつもりが更々ないのが本音です。
どうしても働かなければならない事由がある訳でも、ここで働きたい気持ちがある訳でもありません。
結句、私は今の仕事に何の思い入れがないから辞めた方が良いと言われたことをこれ幸いにと都合良く理由にしようとしている浅ましさが滲み出ます。
されど、忠言を全うに考えると、10年20年先まで後悔しない選択をしたのか?と言うことがあります。
今の仕事は取り急ぎ決めた仕事で、妥協した結果と言う一面があることも認めます。
ならば、後悔しない仕事とは?
向いている仕事は己の無能で選択肢から除かれました。
真剣に考えて、私が向いている仕事は存在するのか大変疑わしいです。
だからこそ、こう至りました。
あえて、言い切る。
私には向いてないだろうが、私のやりたい仕事を選べば一先ず後悔はしない。
そうすると、クリエイティブ系…?いや、向いてはいないのだけど。やりたいことではあります。
後悔だけはしないように生きたい、30年そうして我が儘に生き、これからもそうして手前勝手に生きるでしょう。
まあ、今の仕事は1年間は継続する予定なので、未だ先の話ではありますけど。
何はともあれ、これで良し。
数字が揃うと嬉しい、ただそれだけです。
数字が揃うことに想いを馳せます。
数字が揃うと気持ちが良いのは何故だろう?
ゾロ目然り、百や千などの区切りが良いのも然り。
本当に些末な、数字が揃うことで一喜びするのは私くらいかもしれません。
お手軽な所が数少ない私の長所です。
例えば、タイムカードの出勤と退勤の時間。
出勤は就労時間前に押せば良いので、早く来て押します。
退勤は仕事が一段落して、帰る時に押します。
行きの道路の混み具合や、仕事の終わり具合があるのでばらつきが出す。
しかし、ここ3日連続で出勤18時37分、退勤8時6分と綺麗に揃っています。
今日気付いてちょっと嬉しくなりました。
数字が揃うことで言えば、自動車の運転距離のメーター。
色々な場所に行って来て、ふと見ると残り10㎞で数字が揃う!と気付いて。
そこからは、メーターとにらめっこしながらゆっくり運転。
揃った所で駐車場に一時停止して写真を一枚。
それがこちらです。
また、色々と巡って走っていると、丁度数字が一区切りになるぞ?と気付いて。
一時停止して写真を一枚。
それがこちらです。
次はゾロ目を目指しています。まあ、当分先ですけど。
数字が揃うと嬉しい、ただそれだけです。
明日は3月3日、ひな祭り。
何だか嬉しい日になりそうです。