ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

GPSの合理性も分かるけど、もう少し融通は利かないものか?

GPSを取っ掛かりに考えます。

 

息をすると肩甲骨の下辺りが軋むように痛みます。

背筋に張りがあるような感じです。

どうしてこんな所が痛むのか、謎です。

脚は立ちっぱなしだから分かるのですけど。

 

身体中が悲鳴を上げていますが、往復の道の運転の時には椅子に座っているからか、少し気持ちが楽です。

しかし、未だ今の工場の場所に行く道を正確に覚えていないので、運転する前にスマートフォンの地図アプリのGPS機能を使っています。

一先ず、これで遅刻はせず、夜道も迷わずに済んでます。

ただ、ちょっと不思議なことがありまして。 

この地図アプリのGPS機能、行きと帰りで道が違います。

 

行きは高瀬川まで下り、そのまま川沿いを走ります。

帰りは千国街道に出て、広域農道を走ります。

何故、同じ道を辿らないのか?

 原因は2つと推測しました。

 

1、工場内でスタートとゴールで違う。

家から工場までで検索するために工場の住所を指定します。すると終点は工場建物を示します。

工場から家に帰る時、起点は現在地にしています。すると起点は工場従業員駐車場を示します。

スタートとゴールが違うから、道も変わっている、と推測できます。

ただ、工場建物と従業員駐車場は数十mの距離、同じ敷地内です。

この推論だけでは少し心許ないです。

 

2、ゴールから逆算している。

そこでGPS機能はゴールから逆算している、と考えました。

工場で最も大きい道は高瀬川沿いの道です。

自宅で最も大きい道は広域農道です。

目的地に最も近く大きい道へ誘導しようとした結果、行きと帰りで道が違うことになったのではないでしょうか?

 

試しに帰りに表示する方を朝方進むと高瀬川の方へ戻そうとしました。

こちらも大きい道ならある程度分かるのでしばらく無視して進むと、今度は一度工場を通り過ぎさせようとします。

通り過ぎさせて、高瀬川沿いの道に戻そうとしているのです。

 

何故、目的地付近で最も近く大きい道へ誘導するのか、と考えればそれが一番確実に着くからです。

全く知らない場所に行くとすると細い入り組んだ道より、大きい道の方が分かり易いです。

全く知らない場所だと目的地付近に着てもよく分からなくなったとしても、もう一度大きい道に戻れば探し易いです。

GPSにはGPSの合理性があります。

 

ただ、それでも考えてしまいます。

あえて、言い切る。

 

GPSの合理性も分かるけど、もう少し融通は利かないものか?

 

そろそろ覚えてきたので取り敢えず、千国街道コースで通うことにします。

高瀬川沿いコースは、時間に余裕がある時にでも使ってみます。

使える道は多い方が交通制限に引っかからない可能性が高まりますし。

まあ、当分は千国街道コースで思考の節約をします。

 

何はともあれ、これで良し。

社会の歯車になることで、幼女の笑顔が守られて、世界が大きく変動する。

仕事の歯車を取っ掛かりに考えます。


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スマートフォンの電源を切って、布団の中に潜ってました。

目覚ましアラームが鳴らないように。

今日は休み、18時間ほどがっつり寝ました。

いつもが6時間くらいなので3日分の睡眠です

 

身体の節々が痛いです。特に脚。

身体が重く感じるほどではないですが、一々動くのに「よっこらせ」と言います。

明日からまた仕事。2日までなら何とかなりますが、3日4日と働けば身体が硬直していくような感覚になります。

怠けたツケが身体にのしかかっています。嗚呼、怠けたい。

 

工場の周りにコンビニエンスストアは自動車で10分ほどの距離。

仕事が終わると疲れがあります。途中で寄るより早く寝てしまいたく家路に一直線です。

今回の休日は自宅で過ごしましたが、遠出するには時間と体力が追い付いてません。

まあ、未だ1週間も経っていませんけど。

 

これから1年は代わり映えしない仕事に追われることでしょう。

出会いはないでしょうし、消費もする機会が減りそうです。

これが社会の歯車になるということかもしれません。

 

それにしても「社会の歯車」になることを悲観される方がいます。

一体自分は何のために働いているのか?分からなくなるのかもしれません。

私の働いている工場は油揚げを延々と揚げてます。

果たして油揚げにそれほどの需要があるのか?それこそ365日24時間稼働するほどの意味があるのか?

食品ですから賞味期限が過ぎたら廃棄されることを考えたら、365日24時間稼働しないと品薄になるのでしょうけど。

 

心を無にして油揚げと向き合う日々。

給料の使う当てもなく、休日は家にへたっている。

そんな労働に意味があるのか?自分はこんなことをするために産まれた訳じゃあない!

と、「社会の歯車」を否定する人たちに言わせれば私の環境はそういうことでしょう。

 

しかし、それは「私」に視点が当てられているからそうなる訳です。

これが「幼女」だとしましょう。

失敬、「油揚げが大好きな幼女」です。

そうなると話が変わります。

 

油揚げが大好きな幼女の誕生日におばあちゃんはお稲荷さんをこしらえます。

お稲荷さんの中にはさくらでんぶの鮮やかなピンク。しゃきしゃきの筍も入っています。

そして、油揚げ大好きな幼女の家に持って行きます。

油揚げ大好きな幼女が家に帰るとおばあちゃんがいて、大好きなお母さんとお父さんがいて。

そして、食卓には大皿に乗ったお稲荷さんを見つけて、満面の笑みになる油揚げ大好きな幼女。

こうして小さな家庭が幸せになるのです。

 

今度は「ロリコン」に視点を移しましょう。

失敬、「優秀な紳士」ですね。

これでまた話が変わります。

 

日々、社会との軋轢の中生きる優秀な紳士。

公園のベンチでため息を吐いていると、油揚げ大好きな幼女がおばあちゃんと一緒に歩いています。

昨晩はおばあちゃん特性のお稲荷さんが出て「お稲荷さんは美味しいね!」ときゃきゃとはしゃいでいます。おばあちゃんはにこやかに聞いています。

その微笑ましい光景に優秀な紳士も思わずにっこり。

癒された優秀な紳士は颯爽と仕事に戻ります。

後年、優秀な紳士は仕事を認められ、世界を動かすプロジェクトのリーダーに抜擢されます。

 

何ということでしょう。油揚げで世界が動きます。一大事です。

 

もしこれで工場が閉鎖したら、油揚げが作れなくなります。

そうしたらおばあちゃんは油揚げを買えなくなるかもしれません。

誕生日にはバースデーケーキだけで、もちろん嬉しいけれど、お稲荷さんがなくてがっかりする油揚げ大好きな幼女。

ちょっぴり元気がない油揚げ大好きな幼女を見て心配になる優秀な紳士はそのことが頭から離れず、その日は仕事でミスを連発します。

後年、プロジェクトリーダーに親の七光りで入社した馬鹿息子になり、プロジェクトが頓挫します。

 

何ということだろうか。油揚げがないと日本が危うい。一大事です。

これがバタフライ効果でしょうか。

 

実際、「油揚げ大好きな幼女」や「優秀な紳士」が実在するか?は分かりません。

しかし、実在しないとも言えません。日本規模で言っても1億人いますからね。有り得ることです。

あえて、言い切る。

 

社会の歯車になることで、幼女の笑顔が守られて、世界が大きく変動する。

 

何が善で何が悪かなんて、結句主観でしかないのです。

社会の歯車が悪いなんていうのは、間違っていないけど正しくもありません。

社会の歯車になることは、それで社会が回ることを意味してます。

良いじゃない、社会の歯車。ロボットになろうぜ?

 

ただ、私は悲観主義者。無能である私が果たして社会の歯車に成れるのか?

正直、しんどいしな。「慣れるまで我慢」とは言われたけど。

はあ、怠けたい。怠けて腐葉土の一部に成りたい。

長野の山奥で咲く季節外れの桜があったら、その下には私が眠っていると思って下さい。

 

ネガティブにネガティブに。私自身を信じるな。

恐れ多くもデカルトに真っ向勝負?いや、速攻論破されるだろう。

私の追求と社会の在り方は別ですよ?と言うことを一応書いときます。

 

皆さんの仕事ぶりが認められますように。

何はともあれ、これで良し。

ごしたくてもびしょったい記事をずく出して書く。

方言を取っ掛かりに考えます。

 

勤めに出て2日目にして腰が痛いです。

一度座ると立つのが億劫になります。

ただ、1日が結構早く終わるように感じるので、少しは慣れたかもしれません。

 

長野県の方言には「ごしたい」というものがあります。

意味は「疲れた」ときに使います。

この方言の由来は田畑で農作業をすると「腰が痛くなる」ことから来ています。

正しく今の私のことです。まあず、ごしたい。

 

長野県の方言で言えば「びしょったい」があります。

意味は「汚い、みっともない」とのこと。

とのこと、と書いたのは調べたからで、調べる前は「(髪が長くて)みっともない」と結構限定しているイメージでした。

知らないことは未だありますね、いや何というかびしょったくて済みません。

 

長野県の方言の最もポピュラーで有名なのは「ずく」でしょう。

意味は…「ずくを出す」で「さあ、やろう」、「やる気を出す」。「ずくなし」は「元気がない」、「やる気がない」。

ずく単体では使わないですね。

ブログ名で言えば「ネガティブ方向にずくだす」です。

ずくを出す所が違う?まあ、そこは良いじゃありませんか。

 

標準語が主流となりめっきり姿を現さなくなった方言。

だけど、結構しぶとく残って後世に伝わる方言。

何処に産まれたか、言葉に現れる。地域の風土が色濃くその人の背景を伺うことができる方言。

 

そんな方言に敬意を表して。

あえて、言い切る。

 

ごしたくてもびしょったい記事をずく出して書く。

 

皆さんの方言はどんなものがありますか?

『油揚げの行進』

詩を書きます。

工場で延々と続く感じ…です?今日は疲れた…

 

『油揚げの行進』

 

油揚げ

ぺたんぺたん

裏返し

 

油揚げ

ベルトコンベヤ

運ばれる

 

ういんういん

運ばれる

 

ぺたんぺたん

裏返す

ういんういん

運ばれる

 

油揚げ

ぺたんぺたん

油揚げ

ういんういん

 

油揚げ

お稲荷さま

 

お稲荷さま

こーんこん

 

ぺたんぺたん

裏返す

こーんこん

お稲荷さま

 

おや、晴れているのに雨が降る

こーんこん

お稲荷さま

 

油揚げ

狐の嫁入り

 

狐の嫁入り

ちんとんしゃん

 

ちんとんしゃん

狐の嫁入り

ういんういん

運ばれる

 

油揚げ

目をこらしても

油揚げ

 

どろんどろん

化かされた

 

ぺたんぺたん

油揚げ

ういんういん

油揚げ

こーんこん

油揚げ

ちんとんしゃん

油揚げ

どろんどろん

油揚げ

 

「終業でーす」

 

我に返る

いそいそと

家路に帰る

 

油揚げ

ぺたんぺたん

また明日