ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

『ひとり自由俳句その6』

4月から6月までの期間で、Twitterで私が呟いた自由俳句を転載。

「意味のない数字」でめっきりTwitterで呟かなくなって、数が少ないのは、ご愛嬌?

 

『ひとり自由俳句その6』

 

子どもらの、散った庭先、バトの羽。

 

ちまちまと、終わり夢見て、一編みす。

 

愚者のまま、カオスなカフェで、黙考す。

 

事足りる、過度な装飾、剥ぎ取れば。

 

財布開け、飲料買えぬ、侘しさよ。

 

新緑の、山に陽が射す、子どもの日。

 

山境、こちらとあちら、同じ町。

 

タンポポの、綿毛と共に、抜け毛舞う。

 

おにぎりを、二つ食して、間を持たす。

 

白ワイン、一人静かに、夜を更かす。

 

狼狽す、下手な俳句を、誉められて。

 

一人雲、四方青空、独り占め。

 

同じ車種、鏡合わせの、交差点。

 

胸の内、さらけ出すのに、言い訳を。

 

あずさ号、雲風追い越して往かん。

 

誕生日、よわい三十、覚悟なし。

 

大都会、孤高のカラス、睥睨す。

 

一文を、幾つ列ねる、何時までも。

 

夢の中、勢緑の葉に、捕らわれて。

 

吾と姉妹、記憶探して、五月病

 

滝の汗、何か追われる、悪夢見て。

 

壁の染み、吾の背を見てる、予感する。

 

脱ぎ捨てば、蒸れた匂いの、足の裏。

 

梅雨の間の、月で食べたい、ウサギ餅。

 

信号機、手を上げ渡る、群れの中。

 

梅雨入り後、油断一撃、腹壊す。

 

真実の、仮面の下も、嘘の顔。

 

畦道や、一歩出てみる、親の影。

 

丑三つの、後ろの少年だあれだ?

 

一人去り、また一人去り、山更ける。

 

陽炎に、潜む魍魎、気を付けて。

 

ツバメの子、待ち遠しいか、親の帰途。

 

夜勤明け、渋滞横目に、走り抜く。

 

夏欠けぬ、メンソール入りのシャンプー。

 

かけ違え、叫び虚しく、俄か雨。

 

わんわんと、鳴く君の眼に、吾は居るか?

 

有り得るか?機械主導の、人の檻。

 

梅雨晴れ間、鏡に映る、あなた誰?

 

焙煎や、香りと熱気、そしてチャフ

 

前ばかり、照らして見えぬ、足の先。

@徒然と1周年。

2016年9月3日は、ブログに初投稿した日。

2016年9月3日は、「ネガティブ方向にポジティブ!」運営を始めた日。

そして、今日は2017年9月4日、1周年を通り過ぎていた。

 

今日が3日だと考えていたが、カレンダーを見ると、4日だ。

不思議だ、3日には1周年を密かに祝う記事を書こうと何週間も前から考え、9月に入ってからは毎回カレンダーを確認していたのに。

気付けば、今日は2017年9月4日だ。

 

過ぎてしまったことは仕方ない。

1日くらい遅れたって構わないではないか。

何せ、詰まらないことを書き連ねているだけなのだから。

 

さて、1年前はどんな記事を書いたのか?

何となく、記事を遡行してみる。

下記リンクは、ある意味で記念すべき1つ目の記事だ。

 

uenokoeda.hatenablog.com

 

記事を読めば、私が何も成長していないことが伺える。

無精者で粗忽者で未熟者で怠け者のまま、1年。

能力の欠落と思慮の至らなさのまま、1年。

ただただ、詰まらないことを延々と書き綴った。

 

だが、ただ一点、去年の私では想像できなかったことを成し遂げている。

「毎日、投稿する」

1日に1回、記事を書いて、投稿する。

継続することが苦手な私にとって、とても、とても…目頭が熱くなる。

 

他の人に言わせれば、取るに足らない記事。

詰まらない、本当に益の無い記事ばかりを1年。

それでも、「継続」した事実は、掛け替えのないことだ。

成長はしていないが、前進はできている、そう自分を許せる1年。

徒然と1周年、よく継続した、私。

 

さて、1周年を経って、当ブログも色々と仕様を変えていこうかと夢想する。

現在は、はてなProにするべきかどうかで悩み中。

収益化など考えていないので、今のままで十分ではある。

ただ、広告が消せるとあるので、よりスッキリとしたい私としては、その点で悩む。

もっと、味気ないブログの装丁にしたいのだ。

「今のままで良い」の気持ちが9割4分を占めているので、変えたいなーと言いながら、また1年経つだろう。

 

それと、当ブログでの前進、「毎日、投稿する」にもう少し背伸びしてみる。

「毎日、投稿する。できれば、770文字以上を書くようにする」

これを来年まで目標に据える。

 

何故、770文字なのか?

 

1000文字は大変だ。

毎日、投稿する中で、200文字前後の記事も相当数ある。

気分が乗らなかったり、単純に時間が足りなかったり。

なので、1000文字を基準にするのは止めた。

 

500文字なら、多分、ある程度の余裕がある。

30分はどうにか確保できているし、今までと同じように書き連ねていくだけなら。

しかし、ある程度より、もう少しだけ背伸びをしてみたい。

なので、500文字を基準にするのも止めた。

 

そうすると、800文字くらいだろうか…、と思考し。

いや、背伸びし過ぎか?、と模索し。

どうせなら、ゾロ目が良いか?777文字とか、と思い付き。

最後の7文字は面倒だから切り捨てて、770文字にしとこう、と決めた。

 

ただ、文字数は決めたが、重要なのはこれからも「継続すること」だ。

文字数に囚われて、継続できなかったら、本末転倒だ。

そこで、一文追加する。

即ち、「できれば」770文字以上。

 

背伸びする方向は決めたので、あとは来年の私まで前進するだけだ。

 

話は変わって。

読者数が62人(2017年9月4日現在)になった。

確か…61人目の方のブログ紹介をしようと考えていた、気がする。

取りあえず、メールを送った後、ご返答頂いてから、考えてみる。

 

後は…小説を書きたいが、これは本当にまとまった時間がないと厳しい気がする…

今から、ちょこちょこ書き溜めていけば良いだろうか?

ここは、無理をしないようにしたい。

 

無理をしないようにしたいが、色々とやってみたい。

同じところを回り続けて、這いつくばって、見上げる空はいや高く。

嗚呼、どん詰まり、それでも前進したいのは、何故だろうか?

30歳、未だ何も覚悟せず。

 

1周年、ということで、寝る間を惜しんで書いてみた。

来年、見直した時に、どう感じるだろうか?

来年の私に期待したい。

 

もし、万が一にも読んで頂いた方へ。

ありがとうございます。

あなたにとって澄み渡る日でありますように。

126

あ、今日は駄目だ。

まるでガチガチに閉まったイチゴジャムの瓶の蓋のように、びくともしない。

横たえたまま、何者かに急かされている、気持ちがびくともしないのに。

 

明るい気持ちになるように、駄洒落でも。

布団が吹っ飛んだ、万有引力に逆らって。

駄洒落を言ったのは誰じゃ?、密室殺人事件のダイニングメッセージ。

アルミ缶の上にあるミカン、そのまま半年経ってカビが生えている。

アイスを愛す、君が好きなら何でもね。

 

駄目だ、センスがない。

全くもってぴくりとも表情筋が動かない。

逆に落ち込んだような気がする。

いや、やはりびくともしていない。

 

今日は駄目だ、もう駄目だ。

駄目過ぎる、駄目駄目だ。

嗚呼、でも、「今日」は駄目じゃない。

駄目なのは私で、「今日」はいつも通り平穏だ。

 

平穏なことは素晴らしい。

例え、気持ちが死に絶えていても。

振り返れば、良い日だったと、言えるだろう。

ただ、今日という日を思い出すことはないだろう、とも感じる。

 

せめて、明るく締めよう。

平穏、万歳。

 

投稿します。

125

昨日の昼、近くのホームセンターで買い物しに行くと、蝉が未だ鳴いていた。

9月だというのに、盛大にミンミンと鳴いていた。

名残惜しそうに聞こえるのは、朝方の冷えた空気に触れたからだろう。

 

さて、いつものようにノープランで書いている。

計画性など私は持ち合わせていない。

ただただ消えていく景色を追いかけて、追いかけていくだけだ。

 

さりとて、何かしら、体の良い記事にはしたい。

じゃじゃ馬娘が親戚の結婚式で着る「馬子にも衣装」のドレスのような体の良さが欲しい。

追いかけていく景色の中に、都合良く「体の良い」ことなど、そうそうない。

 

ふと、何処からも蝉が鳴いていないことに気付く。

今日は一日も蝉が鳴いているのを聞いていない。

当たり前に、また一つ景色が消えていく。

 

立ち現れる新しい景色も、気付いた時には消え去ろうとしている。

10年前、5年前、1年前、1月前、1週間前、昨日。

私を置いて、景色は消えていく、紅茶に沈めた角砂糖のように。

 

消えた景色はもう二度と戻って来ない。

だけど、時折、消えた景色の記憶が蘇ることがある。

思い出、消えた景色の残像を時に鮮明に、時に儚く写すこと。

 

蝉の鳴き声が聞こえない。

明日には忘れているそんな些細な出来事。

思い出の残滓に、夏を閉じ込める。

 

感傷に浸っているだけ、それだけ。

単純に、夏が終わる、それだけの話。

 

投稿します。

124

朝8時、私は実家に居た。

母と父と私はゆったりと朝食を摂っていた。

常時着けっ放しのテレビから、福山雅治さんが出て来た。

 

相変わらず、イケメンだな、とカップラーメンをすする私。

福山さんは軽快にMCとトークをしていて、イケメンだった。

そんなイケメン福山さんが視聴者のメッセージの募集で、「息子から「ババア」と言われたことがある人」という質問をしていた。

 

イケメン福山さんによれば、自身のラジオ番組で思春期の息子から「ババア」と言われ泣いたという葉書が届き、 その時期はそういう態度を取るよね、と言っていた。

イケメン福山さんも「ババア」と言ったことがあると仰っていた。

ハンサムで性格も良いであろう福山雅治さんでさえ、思春期には母親に向かって「ババア」と言ったということが、少なからず驚きだった。

 

私は母親に対して「ババア」と言った記憶がない。

その場にいた母に「「ババア」と言ったことってあったっけ?ないよね?」と聞くと、母は「言われたことない」と肯定した。

ふと、私は母に「そう言えば、「ババア」と言ったことある?」と聞いてみた。

すると、母は「言ったことなどない。そんなことを言えば、蔵に入れられた」と否定した。

 

次いでに父に同様の質問をしたが、母と同じく「言う訳ない。そんなことを言えば、浅間のおじさんにどやされる」と否定した。

母はそこで亡き父方の祖母が「(父が)今まで「母さん」と言っていたのに、家に帰ったら「おふくろ」と言われてびっくりした」話を披露した。

思春期の頃の父は、周りが「おふくろ」と呼んでいるのに、未だ「母さん」と呼んでいたことを馬鹿にされたのが原因らしい。

その後、浅間のおじさんに「稼いでもない癖に「おふくろ」とは何事だ!」と怒られて、呼び方を元に戻したとのこと。

 

流れで、私の姉と妹について聞いてみたが、やはり両姉妹も「ババア」と言ったことはないとのことであった。

姉は思春期に一度、父に対して何かしら暴言を言ったらしいのだが、母が「そういう口の聞き方をするのだね?なら、高校の支払いは全部自分でしろ!」と怒ったところ、「お母さーん、お母さーん」と泣いたらしい。

母はそんな姉の手のひら返しに笑いを堪えながら、必死に毅然とした態度を崩さなかったらしい。

私も思わず、「姉、弱っ!」と言ってしまった。

ただ、母に怒られるなんて我が家では滅多にないから、姉の動揺した気持ちも分からなくもない。

 

こうして、両親の聞き取りをすると、どうにも不思議で仕方がなくなる。

あの、イケメン福山さえ、「ババア」と言う、思春期。

どうも、我が家の血筋なのか、環境なのか、「ババア」と言う言葉を誰も言っていない。

最早、「思春期は「ババア」と言うもの」という創作ではないか?と疑う。

 

穏やかに朝食を済ませ、世の中と我が家の違いに困惑しながら、席を立った。

 

投稿します。