昨日の昼、近くのホームセンターで買い物しに行くと、蝉が未だ鳴いていた。
9月だというのに、盛大にミンミンと鳴いていた。
名残惜しそうに聞こえるのは、朝方の冷えた空気に触れたからだろう。
さて、いつものようにノープランで書いている。
計画性など私は持ち合わせていない。
ただただ消えていく景色を追いかけて、追いかけていくだけだ。
さりとて、何かしら、体の良い記事にはしたい。
じゃじゃ馬娘が親戚の結婚式で着る「馬子にも衣装」のドレスのような体の良さが欲しい。
追いかけていく景色の中に、都合良く「体の良い」ことなど、そうそうない。
ふと、何処からも蝉が鳴いていないことに気付く。
今日は一日も蝉が鳴いているのを聞いていない。
当たり前に、また一つ景色が消えていく。
立ち現れる新しい景色も、気付いた時には消え去ろうとしている。
10年前、5年前、1年前、1月前、1週間前、昨日。
私を置いて、景色は消えていく、紅茶に沈めた角砂糖のように。
消えた景色はもう二度と戻って来ない。
だけど、時折、消えた景色の記憶が蘇ることがある。
思い出、消えた景色の残像を時に鮮明に、時に儚く写すこと。
蝉の鳴き声が聞こえない。
明日には忘れているそんな些細な出来事。
思い出の残滓に、夏を閉じ込める。
感傷に浸っているだけ、それだけ。
単純に、夏が終わる、それだけの話。
投稿します。