能天気に考えました。
朝、しんしんと雪が降り積もる中、愛犬のリードを持って外に出ました。
テレビでは「最強寒波!」としきりに言い、如何に寒いかを視聴者の脳髄に叩き込まれます。
ニット帽の上からフードを被って外界に晒す肌の面積を少なくしようと玄関口で努力した私は恐る恐る歩いて行きます。
対して、愛犬は前のめりで前を歩き、かと思えば足を踏ん張って立ち止まり、翻って頭から雪に突っ込み、やれ知り合いの犬には跳び跳ねて縦横無尽に動こうとして。
一日の内でこれほど楽しみにしていて、よっぽど家の中が退屈なのかとリードを引っ張りながら思う訳です。
凍てつく風が窓を叩いて周り、すべての人間を家の中へと閉じ込めようと躍起になっています。
呼吸する音は寒さから逃れようと自然とふーふーと吐いています。
皆が冬将軍の猛攻に徹底抗戦をしています。
そうやって一匹と一人は雪道を連れ立って歩いていますと不意にこの散歩は何時までできるのだろうか?と考えまして。
母は片足がなく、雪が積もった道では天真爛漫な愛犬と連れて歩くには心許なく、これから歳を重ねれば益々危なくなるでしょう。
歳を取ると言えば、愛犬も老いて散歩を気だるく歩く日が何時か来るでしょう。
今こうやって歩けるのは 、偶々で同じ日々はないのでしょう。
そうだとしても、もう少し、落ち着いて歩いてくれないだろうか?と愛犬をちろっと見ます。
愛犬は雪に夢中に飛び込んで、今を全力で楽しんでいる様子。
能天気だな、と私はぼんやりと見ています。
そうやって眺めている内にまたふと気付きまして。
嗚呼、でも私も結構な能天気だな、と。
何せ未だ職なし、なのに焦る気持ちは何処へやら。
ぼけっと過ごしている姿は動物園のライオンの寝そべる姿、野性の本能は眠ったままです。
然しもの愛犬も能天気な私に能天気だなと思われているとは露ほどにも気付いていないでしょう。
はしゃぎ回る犬とぼけっとそれを眺める人間は端から見たらどちらも天衣無縫な組み合わせ、五十歩百歩で違いなどないでしょう。
白い雪は雲の下、鈍く銀色に光っています。
せっせと雪かきする人たちの横を軽く頭を下げながら通り過ぎます。
ようやく、家に辿り着いて、痛む指先に血を流そうとぐーぱーと閉じたり開いたりします。
愛犬を母に託して部屋に入ろうとして、後ろから声がかかります。
「明日もよろしくね」
致し方ありません。不承不承頷いてそのまま戸を閉めました。
明日も喜ぶ愛犬連れて外を歩きます。
思考をするのに歩いた方が良いと聞いたことがありますが、今回はただ野放図広げて終わります。
明日はもう少し思考ができたら良いな、と希望的観測をしています。
能天気な一匹と一人の他愛のない与太話。
皆さん、くれぐれも転ばないようお気を付けてください。