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ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

@更新が途切れることだけは避けたい、「普通」とは違っていても。

閑話休題

閑話休題

 

当ブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

 

上記の文言は所謂閃きなのですけど、正鵠を得ていると私は考えます。

uenokoeda.hatenablog.com

 

その閃きをある程度煮詰めた、と言うか考えました。

uenokoeda.hatenablog.com

 

他にも「詰まらないこと」にスポットを当てて記事を書いてきました。

今回は「延々と」の部分です。

前日に書いた記事がこんな文章。

 

>>>

更新のための投稿。

明日は休みだから、その時リライト。

書く内容は…どうしましょ?

考えときます。

>>>

 

これだけ。これだけ書いて投稿しました。

いや、何で?と言われると、時間が全くなかったから。

どうして時間がなかったか?と言われれば、時間を創出しなかったから。

つまり、怠けた訳です。

 

当ブログの矛盾は「詰まらない」ことを是として記事を書いている点が大きいです。

実は「延々と」の部分も矛盾していているのです。

私は上の小枝の怠け者、「延々と」など毎日書くことを努めるのは甚だ可笑しい人間がブログを継続させるために記事を書いている訳です。

 

更新を記録させるために投稿したのですが、何もそこまでしなくても…と思われるかもしれません。

詰まらない記事を投稿するくらいなら、更新せずに熟考すれば良いが普通です。

 

嗚呼、何と恐ろしい言葉だろうか。「普通」とは。

世俗からズレた感性であるために世の「普通」にビビりまくってます。

まあ、流石に前記事の投稿はやり過ぎ?ではありました。

 

しかし、何度も言いますが。

 

 

 

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

 

 

 

詰まらない記事を量産し易い環境で、それは更新がし易いということです。

何も考えず、何の推敲もせずに投稿しても問題がないのが売りでもあります。

 

私は多分、良い記事を書こうとすると更新が途絶えるでしょう。

それは1年とか。1年待たせて投稿する内容の記事はそれなりのクオリティじゃないといけないでしょうけど、さして面白い記事にならない気がします。

1年も推敲して、面白い記事を書けるか?私は懐疑します。

 

努めることが苦手な私が今このブログを続けられているのは…惰性の部分があるでしょうね。

しかし、怠け者には惰性で書けるようになったのは喜ばしいことです。

ちょっとした自分との約束事をいつもいつもいつも破っていますから。

 

更新が途切れることだけは避けたい、「普通」とは違っていても。

 

なんてことを考えました。いや、本当は「普通」の方が良いんですけどね?

面白くて為になる記事がたくさんあるブログの方が良いに決まってます。

けれど、良いのです。私のブログは詰まらなくて。

全部、私自身の為のブログです。済みませんね、変なのに付き合わせてしまって。

 

皆さんのブログが続きますように。

『世界の終わりの前日』

詩を書きます。

詩を書きます。

 

『世界の終わりの前日』

 

夕方のニュース、世界が終わることを知った。

通りで欠勤退職する人が多いのか。

白米を一人でよそう。

 

早朝の目覚まし、世界が終わる前に会社を休んだ。

電話の向こうの上司はただ一言「分かった」とだけ言った。

マーガリンをスプーンで塗る。

 

午前の繁華街、世界の終わりのような静けさの中を散策した。

花屋に白髪の女性が「全部タダなんですよ」と朗らかに言った。

ありったけの花をリヤカーで運ぶ。

 

正午の公園、世界の終わりかと一人ごちながらベンチで昼食にした。

遠くの木に人がぶら下がっていて、風に吹かれる度に揺らめいている。

視線を外して見なかったことにする。

 

午後のデパート、世界の終わりなど忘れたようにショッピングをした。

どの店もガラスが割れていて、半年前くらいに暴動があったなと思い出す。

1万円をレジに置いて適当に持ち帰る。

 

深夜のリビング、世界の終わりをイメージして模様替えした部屋で積み本を読んだ。

そこかしこに花を生け、ロウソクを灯し、クラシックを流して寛ぐ。

日本酒をグラスであおる。

 

日を跨いだ寝室、世界の終わりの音が聞こえる。

けたたましくも悲しいラッパの音、おぞましくも厳かな木魚の音。

新たな世界の始まりを予感して目をつぶる。

 

昨日は久方ぶりに楽しかった。

今日は世界が終わる。

明日は何を想えば良いだろうか。

 

私は眠る。世界の終わりの最中に。

有給休暇は積極的に取るべき。

〇〇を取っ掛かりに考えます。
有給休暇を取っ掛かりに考えます。
 
不慣れの上に未経験なド新人の私は雑務だろうと仕事を頂ければ有難いです。
休日は頂けますし、有給休暇を自由に利用!とか言える立場でもないです。
 
ただ、普通に働く友人が上司から「日本人は有給休暇を取らない」的な説教をされたと愚痴ってました。
何だか釈然としない気持ちになりました。
 
そこで、有給休暇は取るべきかどうかを考えます。
 
まず、有給休暇は何故あるのか?
 
人によって解釈の違いはあるでしょうが、私は「心身共に休ませることが会社の利益に繋がる」ことと考えてます。
 
身体あっての仕事です。身体を壊してまで働けば会社に迷惑がかかります。
また、精神的に病んだ場合も同じく無理をして働いても却って会社・個人両方で不利益になります。
 
前提としては一定の仕事をこなしている、信頼関係が成立していることではないでしょうか?
新人のときはまだ信頼関係は築けませんから有給休暇が取りづらい、と。
 
また、上司の人の言い分の中に「ノロにかかったときも会社に出ろと言われた」というのがありました。
どういう経緯でそうなったのかは解らないので憶測になりますが、これは中々の問題です。
 
ノロとはノロウィルスのことでしょう。
ノロウィルスは感染のリスクがあります。
また、体調が芳しくないことも明白です。
 
にも関わらず、会社に出勤したら、会社内で感染する可能性がある上、仕事効率が落ちた人間を置いている訳ですから不利益が大きいように感じます。
 
この例は極端ですが、軽い風邪なら出勤する人もいるでしょう。
この中に有給休暇を取る選択肢は優先順位が低いように感じます。
 
では何故「取りづらい」のか?
 
誰かが休めば、その穴埋めに大勢が動く事になるからです。
 
日本人は、というべきでしょうか。この迷惑をかけることに敏感な気がします。
私が休めば、大勢に迷惑と不快感を与えることへの恐怖、もしくは気遣い、優しさ。
 
それが有給休暇を取りづらくあることになります。
そしてそれは悪い事ではないでしょう。
 
しかし、身体は一つです。私はこの身体を大事にすべきだと主張します。
 
ピアスを空けるのも、タトゥーを入れるのも構いません。その身体はその人自身の身体だからです。
 
会社はどうでしょう?大勢の人がいますが、一人くらい居なくなっても問題なく動きます。
例えば社長クラスの人だと事情は違うでしょうが、それでもその身体は一つです。
 
この替えの利かない身体が壊れたら、その先の人生を誰が責任を取ってくれるのでしょうか?
あえて、言い切る。
 
有給休暇は積極的に取るべき。
 
以上です。ご精読ありがとうございます。

反抗期がなくても、それなりの人生は歩める。

〇〇を取っ掛かりに考えます。

反抗期を取っ掛かりに考えます。

 

私には反抗期があっただろうか?いや、ない。

私の記憶に両親に対して暴力暴言、無視をした覚えが全くない。

だから情緒がおかしいのか?そうかもしれない。

普通は思春期にそうした経験を積むはずでしょうから。

 

中学の時、友達Yの家に遊びに出かけたことがありました。

Yは砕けた口調で話す陽気な奴で何故か偶に私に声をかけてくれていた。

私の狭い交友関係で割と仲の良い方でした。

そんなYの家の居間に通され座っていると、Yの母が挨拶に顔を出してきました。

すると突然Yが「おい、ババア!どっか行けよっ!」と怒鳴ったのです。

 

多分、反抗期の暴言だとは思うのですけど、当時の私はドン引きでした。

母親に向かって「おい、ババア!」と怒鳴ることが信じられなかったのです。

急に大声を出されたことも驚きました。そんないきらなくても…

よしんば、「おい、ババア!」がYの母親が気にしていないのであったとしても、友達の前で言う?せめて「母さん」と言えなかったのだろうか?

思春期の人は言えないのでしょうね…これは「おふくろ」と似た恥ずかしさでしょうか?また別物??私にはさっぱりです。

 

小学校の恩師が思春期についてこう述べていました。

「大人に成った時、『ああ、あの時は反抗期だったな』と思うときがある」と。

しかし、30歳を目前に私は振り返ってみても、どうにもそれらしいことが思い付きません。

高校の時に母が冗談めかして私に言いました。

「お前はずっと反抗期だ」

両親の言うことを素直に聞かないことが反抗であるならば、私は30年間ずっと反抗期です。

 

父に対して私は臥薪嘗胆の主人公のような良くない感情を抱いてます。

しかし、父に対して反抗的な態度をしてはいません。

また、良くない感情の原因は父の祖母についての言動諸々です。

逆を言えば、それだけで他は「プライドの高い天気屋」と言う認識程度で普段は全く気にも止めてません。

むしろ、「こんな不器用な生き方でさぞ生き辛かっただろう」と同情にも似た感情を抱くこともあります。

 

父に私のことについて扱き下ろす発言があったとしても、「そうなんだよなー」と答えます。

何せ、事実ですからね。認めるしかありません。

人は本当のことを言われると怒る、と言われています。

しかし、私の場合、本当のことを言われると楽しくなります。私にとって本当のことは寄り添うべきものです。

どちらかというとデタラメなことを言われた方が腸煮えくり返ります。

まあ、断腸した母猿のようなことはないですけど。と言うか、それほど怒ることってないですし。

 

何事にも怒れない人はきっと何事にも関心が持てない人間なのでしょう。

私は何事にも関心がない人間なので、怒れないだと推察します。

実際は、どうなのでしょうか?人付き合いが希薄だからそれほど怒る案件がないってだけかもしれません。

何れにしても、人生で怒ったのは片手で数えるくらいなので、基本が詰まらない人間なのでしょうね。

 

もし、私が反抗期になったら…いや、多分両親の存命中になることはない気がする。

反抗する相手がいなくなってから、反抗期…?それはただの困ったちゃんでは??

やはり、私には縁のないことのように感じます。

あえて、言い切る。

 

反抗期がなくても、それなりの人生は歩める。

 

それなりでも良いじゃない?幸せなら。私は幸せですし。

今日もコーヒー飲んで、漫画買って、布団で一眠りと怠惰の極みを過ごしました。

反抗しなくたって、言葉を選んで本音を伝える術はありますし?

現在、母との関係は私史上最も良好な関係ですからね。反抗期のない私でも大人に成れる訳ですよ。

でも、反抗期がある方が自然ですから、「反抗期がない方が良い!」とは言いません。

結句、その人自身の気持ち次第です。自分と向き合おう、それだけです。

 

何はともあれ、これで良し。

一人だと思い込む前に周囲の確認怠らない。

〇〇を取っ掛かりに考えます。

犬を取っ掛かりに考えます。


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干支の動物に関する思い出でも書いてみます。

鳥にまつわる話を書いたから、残り11記事も干支をネタに書いた方が良いのかな?って…

まあ、ゆるゆる書いていきます。

 

鳥から書いたので、犬にまつわる話でも。

割と犬に関する思い出は色々とありますけど、印象に残っていることを。

 

私が専門学校の生徒であった頃、その学校で体育祭がありました。

高校や大学のような派手で規模が大きいものではなく、小さな体育館を借りて縄跳びなどの地味な競技を身内で楽しむささやかな体育祭です。

 

体育祭のようなイベントはリア充のためにあるようなもので、私のような訓練されたぼっちには如何に平和にやり過ごすかが重大でした。

数ある難関の一つが昼食。その日は弁当持参ですが、もちろん私は一人で食べます。

問題は場所。いつもは自分の机でひっそり食べますが、体育館の中だと悪目立ちします。

なので、そっと体育館から出て、体育館の裏側に行きました。

後ろは体育館の壁、前は車の出入りをための通路と植え込み、誰も居ない静かな場所でした。

そこで弁当箱を開けて、心静かに食べ始めました。

 

ご飯を半分ほど食べた時でしょうか?何かが近付く気配がありました。

顔を上げてみると、雑種の中型犬が1匹歩いていました。

飼い主らしき人物はいません。犬が1匹だけが何食わぬ顔で歩いていたのです。

 

その犬が左から右へと私の前を通り過ぎ、ませんでした。

丁度私の正面に来た所でピタッと立ち止まり、私をじっと見始めたのです。

(何でこんな所にいるんだ?)と驚いていたのでしょう。

 

よく見ると首輪をしています。野良ではないようです。

もしかしたら、逃げた犬かもしれませんが、当時は犬が余りに堂々と歩いていたので行政に連絡することを失念してました。

 

それにしても、こちらをよく見ているな、と犬の視線が私の弁当に向いていることに気付きました。

大方、私の弁当のハム辺りが目に付いたのでしょう。

 

私は犬に話しかけました。

「駄目だよ?これは私の弁当だから!」

身体を半身にして弁当を犬の視線から外しました。

すると犬は2歩ほど進みましたが、またピタッと止まりました。

「いや、駄目だって…」

私は若干弱気になりながら再度断ります。

犬はまた2歩ほど歩いて、もう一度ピタッと止まりました。

 

その時には、私は一人ぼっちで食べている私と拠る辺なく歩く犬(実際は帰る家はあったでしょうが)とを重ね合わせました。

私はおずおずと犬に言います。

「…やっぱり食べるか?」

犬は私の顔を一瞥すると歩き出し、そのまま立ち止まることなく颯爽と去っていきました。

(お前と私は違う、勝手に共感しないでもらおうか)と犬に引導を渡されたような気がしました。

少し寂しい気もしましたが、これも一期一会。元気でいろよ、とそっと見送りました。

 

ご飯を食べ終え、さあ戻るか、と立ち上がると何やら気配がします。

ん?と思って植え込みの方を見ると、クラスメイトの女子が下を向いていました。

どうやら彼女は植え込みの向こう側、芝生の上で食事をしていたようです。

こちらからは植え込みで隠れて見えませんでした。

 

 

誰も居ないと私は油断してましたが、私より先に来て食べていたのでしょう。

そうして、瞬時に私は悟りました。

隠れて、見えなかった。そう、彼女は私が犬に向かって話しかけていたのを立ち会っていた訳です。

 

私は何も言わず、その場を立ち去りました。彼女は一人で食べていたようなので、他の女子は知らないはずです。

でも、彼女がネタにして他の女子に話しはしたかも…いや、考えるだけ不毛です。

 

私がここで学んだことは。

あえて、言い切る。

 

一人だと思い込む前に周囲の確認怠らない。

 

それにしてもあの時の犬は今はどうしているでしょうか?

きっと、一陣の風になって珍騒動を巻き起こしているでしょう。

…あれ?私だけか、そんなことがあるのは?

 

何はともあれ、これで良し。