ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

各個人が何に「着目」するのかが、「思考の方向性」を定める。

思考の方向性を取っ掛かりに考えます。

 

さて、昨日の「127」を付け足して。

何を考えるかのテーマを設けてみよう、と何となく考え。

取りあえず、「思考の方向性」をテーマに色々と書いてみようと。

 

何故、「思考の方向性」なのか?と言えば、「思考の方向性」が分かれば、雑記に書くのに役立つ、気がする。

しばらく、適当な感じで770文字以上の記事を適当に目指す。

 

まず、思考の方向性において、ネガティブか、ポジティブかの二方向があるだろう。

日本語で言えば、楽観か、悲観か、ということ。

そこに「興味」が加わる、というイメージ?

 

例えば、「りんご」を見たとして。

「りんご」を見ただけでは、思考していない。

「りんご」という物体を通して、各個人が「興味」があることに凝視される。

その凝視することが楽観した見方か、悲観した見方か、の違いに別れる。

 

興味があることが、思考に関連しているか?

否、「りんご」という物体を通して、「興味がない」という点に凝視すれば、「興味がない」ことから思考が移る、だろう。

即ち、「興味」が有る無しは思考には関係ない。

各個人が何に「着目」するのかが、「思考の方向性」を定める。

 

では、「着目」するとは何か?

ちゃくもく
着目
 
  1. 《名・ス自》
    (重要だとして)気をつけて見ること。目のつけかた。着眼。
     「特異な才能に―する」

 

 

各個人が「重要」だと位置付けていることに、気を付けて見る。

では、「重要」とは何か?

じゅうよう
重要
 
  1. 《名ノナ》
    価値・必要性などが大きいこと。大切。
     「―視する」

 

 

各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいこと。

「など」と書いているので、価値や必要性以外にも各個人にとって「重要」と位置付けるファクターの項目は多種類なのだろう。

 

即ち、着目とは…

各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいことだとしていることに、気を付けて見る。

 

更に、「気を付ける」とはどういったことか?

  1.  注意を払う。「失礼のないように―・ける」

  1.  元気をつけさせる。

    1. 「なまじひなる事し出して敵に―・けつることよ」〈太平記・三〇〉

  1.  気づかせる。思い出させる。

    1. 「中々なる軍 (いくさ) して敵に―・けてはかなふまじとて」〈太平記・三二〉

 


dictionary.goo.ne.jp

 

おそらく、2の項目は違うだろうが、すべての項目の意味を指すものとする。

では、1の「注意を払う」の「注意」とは何か?

心理学用語において注意とはある周囲の事物事象の特定部分や心的活動の特定の側面に対し、選択的に反応したり注目したりするように仕向ける意識の働きをさす。また、その働きによって選択性を持つ特定の反応が維持されている状態の事や明瞭性を持つ特定の心的活動が意識の中心を占めている状態をさすときにも用いられる。意識心理学では理論の構成上中心的な概念の一つとされ刺激の特性や本来個体が持つ興味によって生じる1次的注意意志及び努力によって維持される2次的注意、または刺激対象に対し感覚器官を調整する感覚的注意とある物に意識を集中させる観念的注意に分類する。 

 

注意 - Wikipedia

 

急に難解になった…

かい摘んで書くと、「ある特定のことに選択的に反応したり、注目したりする意識の働き」ということだろうか?

 

2においてはそのままだろう。

 

3は、気付き、思い出すという、経験や学習、記憶に由来しているようだ。

 

まとめると、「注意」とは、ある特定のことに選択的に反応したり、注目したりする意識の働きであり、元気をつけさせ、気付き、思い出させることである。

 

この「ある特定のこと」とは、各個人が「注目」していることである。

 

よって、「着目」とは、「各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいことだとしていることに、選択的に反応したり、注目したりする意識の働きであり、元気をつけさせ、気付き、思い出させるように見る」ことを指す。

 

…言葉の定義をするのは、大変だ。

次回は、「着目する」行為においてのプロセスを思考したい。

中々に長文だから、「〇〇を取っ掛かりに考えます。」にしよう。

 

この調子だと、770文字以上を書こうとすると、「意味のない数字」が疎かになりそう。

おかしい、意図しない思考を書こうと思考の方向性を模索しているのに、何故か意図した思考になってしまっている。

パラドックスの迷宮に入ってしまった。

いや、これも乙か。

 

この思考が一段落した頃に、意図しない思考の方向性が定まることを願って。