ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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母方の祖父母に会いに、明日は諏訪に行く。

祖父母に会うのは、10年振りではないだろうか?

色々、ご託を並べて、先延ばしにしていた。

 

最近、一緒に暮らしていた父方の祖母の写真を見た。

ふと、会いたいな、と自然と気持ちがわき上がった。

色々なご託より、「会いたい」という気持ち一つですんなり決まる。

 

明日は、何を話そうか、今から楽しみだ。

 

投稿します。

177

自動販売機で「あたたかい」を押す。

ガコン、と音を立てて、缶コーヒーが受け取り口に出てくる。

軽くお手玉をして、プルタブを持ち上げ、缶コーヒーを飲む。

よく冷えた朝には、熱い缶コーヒーが美味い。

 

もうすぐ初雪が降るかもしれない、と天気予報に注視する毎日。

自動車を運転する身としては、滑る道路はカーゲームだけで良い。

雪自体は、今でも好きだが、それとこれとは話は別だ。

 

日が落ちるのが早くなった。

夜の帳に、朝の霧、夏の面影は何処にもない。

代わりに冬の気配がそこかしこに覗いている。

 

残り50幾日で、今年が終わる。

今年の目標は「人の忠言を聞く」と定めたが、果たして聞けただろうか?

どうにも途中から聞けていない、と感じている。

人に聞く機会自体が乏しかった、とも感じる。

今年も上手く立ち回れなかった、と振り返る。

 

来年は、何を定めようか?

もっと具体した内容が良いのだろうか?

 

例えば、私はセミリタイアをしたい。

60歳まで働くなんて、嫌だ。

しかし、そう簡単にもいかない。

 

現在の生活は、月10万あればどうにかなる。

そこで、月に10万円の生活を30年するとした場合。

貯金が最低4000万円は必要だということに。

そして、その金額を稼ぐには。

貯金を毎月15万円したとしても、50歳前後まで働かなければならない。

50歳になって、月10万円の生活をして、80歳前後で貯金が尽きる計算。

75歳には年金が入るだろうから、その分の節制ができるし、老後の手厚いサポートがあるから、本当に貯金が尽きるということはないだろうが。

いや、歳を取れば、払わなければならない税があるだろうし、冠婚葬祭や急な用事があるだろう。

4000万ぴったりでは、心許ない。

すると、結句、60歳まで働かなければならない。

 

しかし、私のような無能が残り30年も人様に迷惑をかけながら働くのは、心苦しい。

しかし、働かなければ、この身を維持するのさえ困難になる。

もっと切り詰めて生活するか、もっと稼げるようにするか、諦めるか。

定める、と言っても、定まらない。

 

来年は、何を定めようか?

考えれば、考えるほどに、身が凍る。

缶コーヒーの熱だけが、身を溶かす頼りだ。

 

忙しない日々が続く。

残り50幾日、それとなく今年と来年を想い馳せる。

 

投稿します。

176

新しく入った人が辞めたらしい。

初日に一度来たきりで、その後は無断欠勤をしてた、とは聞いていた。

致し方ない、と感じると同時に、もう少し居て欲しかったという我が儘な気持ちもある。

 

人がいればいるだけ楽になる工場の仕事。

逆に、人がいなければいないほど過酷になる。

いない人の分の負担を背負って、身体を壊して、人が去る。

こうして、負のスパイラルが出来上がり。

 

…今日も仕事だ、働こう。

辞める時は、今じゃない、多分。

 

投稿します。

175

借家の駐車場にイナゴが1匹、跳ねていた。

日中、見事な秋晴れになったからか、イナゴの足取りは軽やかだ。

その様子が可笑しくって、釣られて私も鼻歌を歌う。

 

今日は、ユニクロで靴下をまとめ買いした。

私にとって靴下は、中長期の消耗品の類いだ。

穴が空いたら、捨てている。

ワッペンなどで穴を塞ぐのは、面倒に感じる。

 

諸行無常の理に、捨てられる、穴の空いた靴下。

穴が空かなくても、タンスの肥やしになる衣服の数々。

ああいや、タンスに肥やしができるほど、衣服は持ち合わせていない。

むしろ、最近、減った気がする。

体型が中学時代から大して変わらないので、大抵の衣服が問題なく着れるのが、大きいだろう。

 

10年選手もちらほらあるくらいで、穴が空いたら直ぐ捨てる靴下は、それらに比べると、消耗品の感覚が強い。

この穴を補修する強者はいるだろうか?

 

穴が空いたら、捨てる。

よく考えたら、衣服は消耗品なのかもしれない。

継ぎ接ぎした衣服は、子どもならいざ知らず、大人は着ないだろう。

漫画「ギャングース」でも、路上で生活する人たちにとって衣服は消耗品だ、と書いていた記憶がある。

流行り廃りで着なくなる服もあるだろう。

 

そうすると、かなりの衣服はゴミとなる。

つまり、私たちはゴミを身に付けている訳だ。

頓珍漢なことを書いている。

そんなことを言い始めたら、裸で過ごさなければならなくなる。

そう言えば、仏教の苦行では衣服は濁りとして裸でするのが一般らしい。

あれ?「衣服はゴミ論」はアリなのか?

いや、ないない。

世迷い事と切り捨てよう。

 

イナゴが元気に跳ねている。

秋晴れの陽気に当てられて、阿呆になってしまったようだ。

仕方ない、そういう日もある。 

イナゴのように軽く跳ねて、借家へと入った。

 

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174

現を抜かすと、すぐ駄目だ。

記事の投稿するのを忘れていた。

寸前になって気付く、危ういところだった。

 

綱渡りのような毎日だ。

立っているのでさえ、揺れるロープに身体がぐらつくように、覚束ない。

新月の森の中をランプ片手に歩くように、不安が付きまとう。

 

770文字を諦めたのに、継続も途絶えたら、私の中の何かが崩れ落ちていた。

私は、この両手からいつもこぼして、喪失しているので、その何かが崩れても、大したことではないかもしれない。

ただ、この両手からいつもこぼして、喪失しているから、これ以上、失いたくない気持ちもある。

だからか、投稿できたことに、思っていた以上に安堵した。

 

気合いは、入れない。

ただ、こぼれ落ちないように、そっと両手で包んでおく。

 

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