母方の祖父母に会いに、明日は諏訪に行く。
祖父母に会うのは、10年振りではないだろうか?
色々、ご託を並べて、先延ばしにしていた。
最近、一緒に暮らしていた父方の祖母の写真を見た。
ふと、会いたいな、と自然と気持ちがわき上がった。
色々なご託より、「会いたい」という気持ち一つですんなり決まる。
明日は、何を話そうか、今から楽しみだ。
投稿します。
自動販売機で「あたたかい」を押す。
ガコン、と音を立てて、缶コーヒーが受け取り口に出てくる。
軽くお手玉をして、プルタブを持ち上げ、缶コーヒーを飲む。
よく冷えた朝には、熱い缶コーヒーが美味い。
もうすぐ初雪が降るかもしれない、と天気予報に注視する毎日。
自動車を運転する身としては、滑る道路はカーゲームだけで良い。
雪自体は、今でも好きだが、それとこれとは話は別だ。
日が落ちるのが早くなった。
夜の帳に、朝の霧、夏の面影は何処にもない。
代わりに冬の気配がそこかしこに覗いている。
残り50幾日で、今年が終わる。
今年の目標は「人の忠言を聞く」と定めたが、果たして聞けただろうか?
どうにも途中から聞けていない、と感じている。
人に聞く機会自体が乏しかった、とも感じる。
今年も上手く立ち回れなかった、と振り返る。
来年は、何を定めようか?
もっと具体した内容が良いのだろうか?
例えば、私はセミリタイアをしたい。
60歳まで働くなんて、嫌だ。
しかし、そう簡単にもいかない。
現在の生活は、月10万あればどうにかなる。
そこで、月に10万円の生活を30年するとした場合。
貯金が最低4000万円は必要だということに。
そして、その金額を稼ぐには。
貯金を毎月15万円したとしても、50歳前後まで働かなければならない。
50歳になって、月10万円の生活をして、80歳前後で貯金が尽きる計算。
75歳には年金が入るだろうから、その分の節制ができるし、老後の手厚いサポートがあるから、本当に貯金が尽きるということはないだろうが。
いや、歳を取れば、払わなければならない税があるだろうし、冠婚葬祭や急な用事があるだろう。
4000万ぴったりでは、心許ない。
すると、結句、60歳まで働かなければならない。
しかし、私のような無能が残り30年も人様に迷惑をかけながら働くのは、心苦しい。
しかし、働かなければ、この身を維持するのさえ困難になる。
もっと切り詰めて生活するか、もっと稼げるようにするか、諦めるか。
定める、と言っても、定まらない。
来年は、何を定めようか?
考えれば、考えるほどに、身が凍る。
缶コーヒーの熱だけが、身を溶かす頼りだ。
忙しない日々が続く。
残り50幾日、それとなく今年と来年を想い馳せる。
投稿します。
借家の駐車場にイナゴが1匹、跳ねていた。
日中、見事な秋晴れになったからか、イナゴの足取りは軽やかだ。
その様子が可笑しくって、釣られて私も鼻歌を歌う。
今日は、ユニクロで靴下をまとめ買いした。
私にとって靴下は、中長期の消耗品の類いだ。
穴が空いたら、捨てている。
ワッペンなどで穴を塞ぐのは、面倒に感じる。
諸行無常の理に、捨てられる、穴の空いた靴下。
穴が空かなくても、タンスの肥やしになる衣服の数々。
ああいや、タンスに肥やしができるほど、衣服は持ち合わせていない。
むしろ、最近、減った気がする。
体型が中学時代から大して変わらないので、大抵の衣服が問題なく着れるのが、大きいだろう。
10年選手もちらほらあるくらいで、穴が空いたら直ぐ捨てる靴下は、それらに比べると、消耗品の感覚が強い。
この穴を補修する強者はいるだろうか?
穴が空いたら、捨てる。
よく考えたら、衣服は消耗品なのかもしれない。
継ぎ接ぎした衣服は、子どもならいざ知らず、大人は着ないだろう。
漫画「ギャングース」でも、路上で生活する人たちにとって衣服は消耗品だ、と書いていた記憶がある。
流行り廃りで着なくなる服もあるだろう。
そうすると、かなりの衣服はゴミとなる。
つまり、私たちはゴミを身に付けている訳だ。
頓珍漢なことを書いている。
そんなことを言い始めたら、裸で過ごさなければならなくなる。
そう言えば、仏教の苦行では衣服は濁りとして裸でするのが一般らしい。
あれ?「衣服はゴミ論」はアリなのか?
いや、ないない。
世迷い事と切り捨てよう。
イナゴが元気に跳ねている。
秋晴れの陽気に当てられて、阿呆になってしまったようだ。
仕方ない、そういう日もある。
イナゴのように軽く跳ねて、借家へと入った。
投稿します。
現を抜かすと、すぐ駄目だ。
記事の投稿するのを忘れていた。
寸前になって気付く、危ういところだった。
綱渡りのような毎日だ。
立っているのでさえ、揺れるロープに身体がぐらつくように、覚束ない。
新月の森の中をランプ片手に歩くように、不安が付きまとう。
770文字を諦めたのに、継続も途絶えたら、私の中の何かが崩れ落ちていた。
私は、この両手からいつもこぼして、喪失しているので、その何かが崩れても、大したことではないかもしれない。
ただ、この両手からいつもこぼして、喪失しているから、これ以上、失いたくない気持ちもある。
だからか、投稿できたことに、思っていた以上に安堵した。
気合いは、入れない。
ただ、こぼれ落ちないように、そっと両手で包んでおく。
投稿します。