借家の駐車場にイナゴが1匹、跳ねていた。
日中、見事な秋晴れになったからか、イナゴの足取りは軽やかだ。
その様子が可笑しくって、釣られて私も鼻歌を歌う。
今日は、ユニクロで靴下をまとめ買いした。
私にとって靴下は、中長期の消耗品の類いだ。
穴が空いたら、捨てている。
ワッペンなどで穴を塞ぐのは、面倒に感じる。
諸行無常の理に、捨てられる、穴の空いた靴下。
穴が空かなくても、タンスの肥やしになる衣服の数々。
ああいや、タンスに肥やしができるほど、衣服は持ち合わせていない。
むしろ、最近、減った気がする。
体型が中学時代から大して変わらないので、大抵の衣服が問題なく着れるのが、大きいだろう。
10年選手もちらほらあるくらいで、穴が空いたら直ぐ捨てる靴下は、それらに比べると、消耗品の感覚が強い。
この穴を補修する強者はいるだろうか?
穴が空いたら、捨てる。
よく考えたら、衣服は消耗品なのかもしれない。
継ぎ接ぎした衣服は、子どもならいざ知らず、大人は着ないだろう。
漫画「ギャングース」でも、路上で生活する人たちにとって衣服は消耗品だ、と書いていた記憶がある。
流行り廃りで着なくなる服もあるだろう。
そうすると、かなりの衣服はゴミとなる。
つまり、私たちはゴミを身に付けている訳だ。
頓珍漢なことを書いている。
そんなことを言い始めたら、裸で過ごさなければならなくなる。
そう言えば、仏教の苦行では衣服は濁りとして裸でするのが一般らしい。
あれ?「衣服はゴミ論」はアリなのか?
いや、ないない。
世迷い事と切り捨てよう。
イナゴが元気に跳ねている。
秋晴れの陽気に当てられて、阿呆になってしまったようだ。
仕方ない、そういう日もある。
イナゴのように軽く跳ねて、借家へと入った。
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