ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

357

何時からが昨日で、何時からが明日なのだろうか?

時計の秒針が1目盛りの差は、それほど明確なのだろうか?

欠伸をして出た涙で、時計の文字盤が滲んで見える。

 

昨日、私が当ブログに投稿したのは、23時59分だ。

投稿後、数秒で0時になって、明日を迎えた。

しかし、果たしてあの投稿記事は、昨日なのだろうか?

 

太陽が東から昇れば朝、南の空で昼、西へ沈めば夕だ。

しかし、夜は真っ暗で時間の感覚が分からなくなる。

本当に昨日は昨日になったのか?

 

頼りにするのが時計だが、時計の秒針で昨日と明日を分けている気がしない。

そも、23時頃ですでに今日は昨日になっている感がある。

寝るのが早い人なら、21時頃はもう昨日だろう。

 

当ブログで投稿する記事は、半分以上は23時頃が多い。

こんなことを言い始めたら、継続できてない、と嘆いてがっつり凹みそうだ。

欠伸をして出た涙を急いで拭って、今の考えを忘れる努力をする。

 

もっと分かり易く、日が昇ったら今日として、その瞬間から昨日と明日を分かてば良いのに。

日の光の強力な力で、否応なく時間を知るのは、私は良いと考える。

夜のどっち付かずの感じも好きだし、その方が良い、そうして欲しい。

 

そう言いながら、ちらり、時計を確認する。

22時26分、間に合いそうだ。

結句、時計の秒針の奴隷な私だ。

 

継続できている、と言い聞かせながら、投稿する。

356

山は巨大だ。

僅か1mと少しの人間に対して、3000mもある山の連なりは、巨大だ。

その巨大な山の連なりをすっぽりと覆う雨雲は如何ほどか。

 

己の小ささに巨大な物への畏敬の念を抱かずにはいられない。

自然の巨大さは、小さな私など気にしないだろう。

しかし、あの巨大な物も、小さな物の集まりであることを、私は知っている。

 

山の緑は、木々の葉の1枚1枚の集まりだ。

葉の大きさは、私の掌に乗るくらいの大きさだろう。

それが途方もない、幾千万、幾億枚と集まって、山の緑となる。

 

雨雲は、水蒸気の1粒1粒の集まりだ。

水蒸気の大きさは、私の指先に乗るくらいの大きさより小さい。

それが果てしなく、最早、数えることさえできないくらいに集まって、山を覆う雨雲となる。

 

この私も、1つ1つの細胞の集まりだ。

その細胞が肉となり、骨となり、血となる。

その1兆は優に超える細胞が集まって、巨大で小さな私となる。

 

あの山も、あの雨雲も、小さき物の集まりだ。

この私も、あの人も、小さき物の集まりだ。

それらが集まった物が、地球だ。

 

この宇宙の広大さも、目に見えないくらい小さな物の集まりなのだろう。

目に見えない小さな物が、あの夜空に輝く星をも飲み込む宇宙へと変わるのだろう。

その小さな物へ、巨大な物と同じように、私は畏敬の念を抱く。

 

小さき物、侮ることなかれ。

巨大な山の連なりと、それをすっぽりと覆う雨雲を見やり、自戒する。

小さき物、侮ることなかれ。

 

山を見て感じたままに、投稿する。

355

青が争うと書いて「静か」となるが、青の喧噪は聞こえないのだろう。

ふと窓の外から見たネイビーブルーな雲に、静けさを連想する。

騒がしいほどに静かに、青がひしめいている。

 

静かな夜は物思いに耽るのに丁度良い。

好きな飲み物を机にでも置いて、ぼんやり夜の移ろいに身を任せたくなる。

しかしそんな静かな夜だったのに、二日酔いの私は沈痛に黙ることしかできなかった。

 

筋肉や骨はいつも通りに動くが、内蔵ががぶ飲みしたアルコールにざぶざぶと浸かっているような、気持ち悪さがある。

休憩時間は率先して黙って動きを止めていた。

数時間が経ったのにも関わらず、二日酔いの猛威は止まることを知らないようであった。

 

それでも、時間が経てば、次第に良くなってくる。

こうして、いつもの詰まらない文章を書く程度には回復した。

今でも未だちょっと、内臓に違和感を感じるが。

 

昨日のような夜はいつもある訳ではない。

二日酔いで無為にしてしまった。

その前の晩は、あの夜でしか楽しめなかったから、二日酔いをしたことは後悔していないが。

 

今度、あの青の喧騒が聞こえてきた時は、私自身の体調が良いことを願う。

風邪を引いたり、深酒したり、そういうことがないようにしたい。

巡り合わせに、乞うご期待だ。

 

今日の夜の移ろいの中、投稿する。

354

完全な二日酔いだ。

大阪ではっちゃけ過ぎて、今、グロッキーだ。

大阪との相性が良すぎる…

遊ぶには楽しいが、住むには私には向いてない。

恐らく、大阪に住んだら、破産する。

お陰でいつも以上に頭が回らない、ほぼ止まりかけだ。

明日はしっかり書こう、と明日の私に丸投げして投稿する。

あの修学旅行も、結句、良い思い出だ。

今週のお題「修学旅行の思い出」

 

安曇野は快晴だ。

山頂の雪のなんとハッキリと見えることか。

ガードレールや標識の影のなんと濃く見えることか。

 

誠によく晴れた。

今日は旅立つのに晴れやかな日だ。

今から、長野県から大阪府へ向かう。

 

旅というのは、良いものだ。

旅立つ、それだけで気分が良くなる。

自分が見たことのない何かがあるのを、期待せずにはいられない。

 

修学旅行、学校での集団行動があるものの、長野県から離れる、あの高揚感は何とも得難い経験だ。

しかし、思い出してみると、良い思い出もあるが、悪い思い出もある。

もう古い記憶で、正確性には欠けるが、順次書いてみる。

 

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