ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

私は「人間」と言えるのは普遍があるからだと錯覚しているから。

普遍を取っ掛かりに考えます。

 

普遍とは何なんでしょうか?

古代から現在に至るまで万人に久しく持つ認識と言うものでしょうけど。

それに対してどうしてそうした認識が万人に持っていると信じられるのか?が今考えてます。

それは考えるのは思春期で終わらせなければならなかったでしょうかね?

 

それで気になって調べてみたら、「普遍論争」なるものを見つけました。

まあ、難しいことは解りませんけど、二つの主義があるらしく。

実在論と唯名論に別れるそうです。

 

例えば、何処かの国のジョンと言う人間とジョンが飼っている犬とジョンの家にある大樹があったとして。

ジョンは「人間の類」、ジョンの犬は「犬の類」、ジョンの家にある大樹は「樹木の類」であるとのこと。

つまり…カテゴリーに別けるってことでしょうね。生き物ってカテゴリーの中でジョンは「犬」ではないし、「樹木」でもなく「人間」のカテゴリーだろう、と。

これが「類の概念」らしいです。何か想像していたのと違うけど…

 

で、ジョンは「人間の類」であるとするのは間違いないらしい。そりゃあ、人間と犬は違うよね?人間と樹木は違うし、犬と樹木も違う。オッケー、理解した。

じゃあ、ジョン以外の「人間の普遍概念」はあるのか?ってなるらしい。

ジョンは人間だし、私も人間だ。でも、国や人種、性別や年齢が違うのに同じ人間ってどうして言えるの?と言う訳だな。中々、捻くれているな。好きよ、その捻くれ方。

まあ、でも「私と君は同じ人間だ!」って漫画だと良くある台詞だけど。ゾンビは元人間で人間じゃないから撃ったりとか、魔法で怪物になっちゃった仲間に言ったりとか?割と人間とはこうあるって難しいなって。

 

それで、最初の実在論と唯名論になるらしい。

実在論は何ものかが明らかでない個物の基体存在物に「人間の普遍概念」が基体存在に加わることで「人間の具体的存在」すなわち「個物としての人間」が成立するとした…

 

ジョンに会ったときにあなたはジョンを犬に見えましたか?いいえ。

なら、樹木だと思いますか?いいえ。

では、一体何だと思いましたか?…人間?イエス、パーリーピーポー!

みたいな?(最後はノリです)

 

実在論ってイデアが事物より先に立ちそれ自身において存するってことを重要視している…のかな?

例えば、以下のご覧下さい。

 

○  O 

 

何に見えました?

「丸が四つある?」って見えました?

じゃあ、どうして丸って思いました?

だって、大きさも色も形もバラバラじゃないですか?

「丸とはあーだこーだで」みたいな理屈で考えた訳じゃないですよね?

見た感じ「丸」だから「丸」だけど、どうして見た感じを「丸」と思ったのだろうか?

それはもうこういう形は「丸」と言う存在としてあるってことなんですよ!

 

つまり、普遍における実在論は…「パッと見、人間なのだから人間で良いじゃん?」です。

理屈でこねくり回しているね!大好きよ、この拗れた感!

 

更に踏み込んで、実在論はこんなことを言っちゃいます。

 

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アダムによって堕落しキリストに救済されることが成り立つためには、人類という普遍者が存在し、それが人間の本質として前提されなければならないと考えた。そうでないとすると、アダムの原罪もキリストの受難も個々の事実に過ぎず、人類全体の救済という普遍的な意味を持ち得ないからである。

>>>

 

アダムさんがリンゴを食べたり、キリストがえっちらおっちら十字架背負って歩いたりしたのは皆のために頑張っていたんだ。なのに、「そんなのアダムさんとキリストさんが勝手にしたことだし?俺らには関係ないね」なんて言わせないよ!

と言うことらしい。

 

それに対して、唯名論は実在するのは具体的な個々の個物であるらしい。

人間のジョンや犬や樹木が個物として実在していて。「普遍概念」は、類を示す「名前」であり、名前は「言葉」として存在するが、普遍概念としての形相的存在は実在しない…とのこと。

つまり…「「ジョン」って名前を付けているからジョンであって、「クリスティーナ」って改名したら、それはもう「ジョン」じゃなくて「クリスティーナ」だよ」…

うーん、解るづらい…思考する上での言葉でしかないって立場は何となく解るような…?

 

ファイルに「人間」と言う名前を書いて。

しばらくして、「人間」と言う名前から「20160107」とか数字の羅列にして。

実在論は「人間」ファイルと「20160107」ファイルは中身は同じなのだから同じファイルだと言い。

唯名論は「人間」ファイルと「20160107」ファイルは名前が違うのだから同じファイルではないと言い。

こう書くと…どっちも正しい気がするな。まあ、どっちも拗れていて、もう愛してます。

 

私はカテゴリーに分類されることに意味を見出しているので、実在論寄りかもしれません。

如何にしてカテゴリーに分類するかは普遍の前提があってこそですからね。

私が「人間」と名乗れるのは「人間」のカテゴリーに潜めるからで、「怪物」と言うカテゴリーがあったらそっちに分類されそう。

「人間」と言うカテゴリーに入っていると私が名乗れるのはそういうカテゴリーが存在しているからで、名前が私には理解できないものに変わったら、私は名乗ることができなくなるかもしれません。

 

私は「人間」と言えるのは普遍があるからだと錯覚しているから。

 

ええ、錯覚でしょう。多分。自信がないですけど。

何を持って「人間」と言えるのか?ここで言う「人間」は思想的な意味合いですけど。

そう、だから、最近考えている普遍は何でしょう?は思想的な普遍があるかってことなんですけど…

何か、変な方向に行ったなー。一度切るかな?

 

普遍なことは何処かに目に見える形で転がっていたら良いのに。

なんてね。