きゃくほんをかくときめたのにまだかいていない。
きもちがうわむかないからだろうか。
それもあるが、なんというか、さぼりすぎたか。
なにがさぼっていたかはげんめいしない。
めいはくといえば、めいはくなことではある。
しかし、みとめない、しょうにんしない。
それはさておいて。
きゃくほんをかくのに、あしたはあてるよていだ。
しかし、ひとともあいたい。
なので、まずはさらっとめっせんじゃーをおくる。
これから、おくる。
よなかにおくってはんのうできるにんげんは、いないだろう。
つまり、これは「わたしはさそったよ」というぽーずにほかならない。
なんてえげつないやつなのだろう。
ほんとうにあいたいとはかんがえているひとには、べつびをしていするけれども。
あわないことにははなしがすすまないのはじじつだろう。
だから、れんらくはする。
そも、だいぶれんらくをほうちしているから、そろそろしないとまずい。
いまはちめいしょうですんでいるが、これいじょうほうちするとえきびょうがはっせいする。
それはさけなければならない、ひとさまにめいわくはかけてはならない。
じぶんのめいよはどろでもくそでもかぶってかまわない。
きゃくほんはそのあとでもいい。
そも、かかなければならないほうのきゃくほんはかきあげている。
これからかくのはいそぎではないきゃくほんだ。
いいわけばかりがせんこうしているが、いつものことともいえる。
ゆびがかってにいいわけしている。
ともはやじがをほうきしはじめるわたしはなにものだろうか?
れんらく、れんらく、それだけすまそう、いいわけだいおうなわたしよ。