ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

133

昨日、13時くらいに近場の銭湯に行って。

ゆっくり浸かって15時くらいに戻る。

 

だらだらと付け加えの記事を作り。

紹介記事の了承を求めて。

18時くらいに一眠り。

 

翌日、つまり今日の7時にJアラートで起きて。

どうやら、また北朝鮮がミサイルを打ったらしいから、一応頭だけ枕で庇って。

通過したのをJアラートで確認してから、ごろごろする。

 

だらだらと室内で過ごして、お腹が空いたので出かける。

11時くらいに回転寿司で昼食。

20皿くらいを食べた。

コーヒーがセルフでタダとあったので一杯飲む。

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13時くらいに帰宅。

それから、欠伸を殺しつつ、本日分の記事を作成。

18時くらいに出勤予定。

 

…そう言えば、予定を全然考えていない。

己の欲求に素直過ぎる。

いや、休日なのだから、己の欲求に素直で良いはずだ。

 

それにしても眠い。

いや、12時間以上は寝ているのだから、眠いというのは可笑しいかもしれない。

しかし、お腹一杯で目蓋が重くて仕方がない。

己の欲求に素直過ぎる、生後2ヶ月の赤ちゃんのようだ。

 

嗚呼、もっと仕事が減れば良いのに。

そしたら、寝て起きて寝て起きてを死ぬまで繰り返すのに。

そんな人生、詰まらない?

否、刺激はたまにあるから良いのであって、普段は何事もなく過ぎ去るのが良い。

 

朝のJアラートも1回目は大騒ぎだったのに、今回は最初に比べてそれほど騒がれていない。

このまま何回も朝にJアラートが鳴って、「日本を通過しました」となれば、そのまま日常化するのは目に見えている。

現実、仕事が休みになっていない時点で、危機感などありはしないのだ。

 

社会が成り立つのに、他者の労働があってこそだが、日本は便利さの追求からか、勤勉な性分からか、ちと働き過ぎだ。

私のようにもっと己の欲求に素直になれば良いのに。

すべての人間が己の欲求に素直過ぎると、混沌とした世界に成りそうだが。

 

まだ時間が少しあるから、残り僅かの時間を惜しみつつ、だらだらすることにする。

9月も半ば、秋深まる鈴虫の声かな。

 

投稿します。

132

Kさんが仕事を辞めた。

辞めないで欲しかった。

人手不足になって大変だから。

 

しかし、仕方ない。

KさんにはKさんの事情があるのだから。

どういった事情かは、若干気になるが。

 

さて、本日は休みだ。

しっかり休んで、明日に備えたい。

 

それはそれとして、今日はブログ記事をせっせと書いてみようか。

下書き保存したままで、書き起せそうなのは書き起したい。

付け加えないまま放置しているのは、ちゃっちゃと付け加えたい。

 

本日は、ブログ記事大量生産をしよう。

…無理をしない程度に。

 

とりあえず、順番として…

1、「130」の記事を770文字以上にする。

2、下書き保存したのをまとめる。

3、61番目の読者登録して頂いた方の紹介記事を書く。

4、様子を見て、思考の方向性を書き進める。

 

いや、結構ある。

部屋のゴミを集めたら、1袋では足りなかった時のような結構な量だ。

後回しにし続けた結果、滞り続ける思索の仮組たち。

書く事自体はあることを再認識。

 

1は、どうにかこうにか書くとして。

さらっと、ずらずらっと、でででっと書くとして。

 

2は…それなりの時間が取られるな…

睡眠が最優先だけど、1本は書き上げたい、できれば。

 

3は、メールを送ろうと考えたが、メールフォーラムがなく…

コメント欄で紹介記事を書いても良いか、聞くことにする。

それで正しいのかは、分からないが。

 

4については、今日じゃなくても書けそうだから、それほど切迫していない。

一気に書こうとしないで、途中で投稿しているのが良いのかもしれない。

追い追い書いていく予定。

 

記事を作成する前に、銭湯で浸かって汚れを落としてから。

あと、予定を書き出してみようかと。

風呂で頭をふやけさせながら、簡単にあれこれと思い浮かべて、簡単にまとめる予定の予定。

今年も残り僅かだから、来年の方向を考えたい、できれば。

 

後は…今は特にない。

私は今の仕事を何時まで続けようか…

3年は続けて、それなりの額を手にしてからでも遅くはないか…?

それもふやかしてからで良いか。

 

これで良し。

次の行動に移ろう、のんびりと。

 

投稿します。

131

仕事中、黙々と油揚げを拾っていたら、機械操作を担当するオペレーターの方が話しかけて来た。

 

「Kさんってきざみラインの人だよね?」

 

私の通う工場では、A、B、C、Dの油揚げの製造をするラインがある。

奥の方で、豆乳を作って、油揚げの生地を揚げて、冷凍して、それをコンベアで運ばれた物を商品にするために袋に入れる機械にせっせと入れる、その作業をする所が4つあるということ。

そして、味には問題ないが製品として売れない油揚げを各ラインから集めて、刻んでから袋詰めするラインがある、それがきざみラインだ。

私の主な所属がきざみラインで、Kさんとは班を組んでいる人で、そこそこ仲は良い方だ。

 

オペレーターの方が何を言いたいのかは知らないが、知っている人なので素直に首肯する。

私の肯定を見て、オペレーターの方が続けて。

「さっき、そこで社員の人と喧嘩してて、「分かりました、それだったらもう辞めます!」と言っていたよ」と言った。

 

私は驚きを禁じ得なかった。

普段はニコニコとしていて、返事もハキハキとしているKさんが?

普段の様子や仕事前の会話から、とても怒るような人には見えないのに…

そも、その喧嘩したとされる社員は、私の目から見て、穏健な物言いと分かり易い説明をする人で、現工場内の全社員の中でも怒気を態度に示さない部類に入る。

この二人が喧嘩…?モンシロチョウとテントウ虫がいがみ合っているよ、と言われたような気分で俄には信じられない。

 

と言うより、 Kさんがどこまで本気かは知らないが、本当に辞められると、皺寄せがもろに私に来そうなのだが…

本気なのだろうか…?流石に急に穴を空けるようなことはしないとは信じたいが…

だが、仕事の返事で時折「うん」と答える時があるのを考えると…幼さがあるような気もしなくもないけど…

つまり、バックレることも有り得そう…止めよう、人を疑っても悲しくなるだけだ。

今日笑顔で行けば、会えるさ、会えるはずさ。

そう信じよう。

 

投稿します。

130

結句、遠出しなかった、3連休。

休みの大半は、布団の上。

万年床に、敬意を。

 

はてさて、思考の方向性は只今進行中。

この「意味のない数字」の行く末は、まだまだ定まらず。

こうご期待と、謎に自分を煽っておく。

 

…付け足す方向で思考中。

あと数分を惜しみなく寝るために。

仕事への憂鬱を忘れるために。

 

とりあえず、そうしよう。

 

日を跨いで、付け加えを開始。

本日、9月13日、晴天なり。

チチチチッ、チチチチッと小気味良く虫が鳴いている。

 

さて、何を付け加えようか。

まだ、方向性が定まっていないので、頭によぎる詮無きことを書いていくつもり。

何を思い出そうか?

 

更に日を跨いで、付け加え。

本日、9月14日、晴天なり。

もう夕闇がすぐそこまで迫ってきている。

 

このまま、日を跨ぎ続けた記録を書いていけば、目標に到達するかもしれない。

時間はかかるが、確実に書いていける。

たった3行、1、2分もあれば書ける。

 

しかし、やはりそれは面倒だ。

区切りも何時にすれば良いか分からない。

方向性が定まっていないことが少なからず影響している、かもしれない。

 

あっちにふらふら、こっちにふらふら、頭は右を向いて、足は左へ向かう。

タロットカードの愚者のような考えなし。

だらだらと、なあなあと、ぐずらんぐずらんと書いていく。

 

時刻は17時。

リー…と細く小さい虫の声が聞こえる。

秋、暮れる。

 

それにしても、まとまりがなさ過ぎて、一体この記事は何なんだろう?

流石に、どうにかオチを考えないといけない。

方向性、方向性…奉公せい?

 

何が言いたいのか、私にも分からない。

分からないまま、文字だけを埋めていく。

 

次回、同じように付け加えることになったら、書き方だけでも決めておこう。

エッセイ風だとか、耽美風だとか、ナンセンスだとか。

そうしないと、書くのにちょっと辛い。

排便に行きたいのに、トイレの個室で3人くらい列を作って待っているように、ちょっと辛い。

 

定めるために、思考しているが、ある程度の枠組みくらいは定めよう。

今回の記事がよくよく教訓になった。

 

投稿します。

何を「大事」にするかは、「遺伝子」と「環境」が要因になる。

着目を取っ掛かりに考えます。

 

3連休を一心不乱にダラダラと過ごした。

寝て起きて、漫画を読んで、寝て起きる生活。

ご飯食べて、寝るだけの生活がきっと理想。

50歳までには、2000万くらい貯金を貯めて、リタイヤしたい。

欠伸して噛み締める、幸せ。

 

そんなこんなでも、頭の中は空回りし続ける。

しばらくすると、ふとした瞬間に歯車が噛み合うのか、思考し始める。

所謂、「やる気になる」という現象か?

取りあえず、前回の思考を進めてみる。

 

前回、考察したのが思考の方向性について。

uenokoeda.hatenablog.com

 

「興味」が有る無しに関わらず、「思考」はする。

何に「着目」しているかが、「思考」することに繋がる。

その「着目」とは何か?を以下のように定義した。

 

「着目」とは、「各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいことだとしていることに、選択的に反応したり、注目したりする意識の働きであり、元気をつけさせ、気付き、思い出させるように見る」ことを指す。

 

この定義に基づいて、思考のプロセスを私の思考になぞらえてみよう、が今回の思考だ。

 

上記の定義を分解すると以下のような流れになる。

1、各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいこと

2、選択的に反応したり、注目したりする

3、元気をつけさせ、気付き、思い出させるように見る

 

まず、1について。

前回でも触れたが、「など」とある通り、価値や必要性以外の要素がある。

各個人によって何を基準、項目にするかは変わるため、私の独断で「など」の中身を推定する。

以下、項目を羅列する。

 

「価値」、各個人が持っている大きいこと、大事なこと。

「楽観悲観」、それは楽観することか、悲観することか。

「善悪」、それは善いことか、悪いことか。

「好き嫌い」、それは好きか、嫌いか。

「正邪」、それは正しいことか、間違っていることか。

「美醜」、それは美しいことか、醜いことか。

「必要性」、それは必要なことか、不必要なことか。

「緊急性」、それは今すぐか、後なのか。

「優先順位」、様々な事柄をくらべること。

「状況」、様々な状況によって、優先順位は変化するか否か。

 

他にあれば、教えて頂ければ、付け加える。

上記の推定した項目を一まとめに「判断項目」と名称する。

 

では、この「判断項目」はどのようにして培われるのか?

「善悪」、「正邪」、「美醜」は、家庭や地域社会で学習したことが常識として身に付いていく。

その中で、「必要性」、「緊急性」、「状況」で「優先順位」を決めて行くのは、経験則、体験から「こうした方が良い」という判断が下させる。

様々な経験が後に各個人の「価値」となる。

 

しかし、経験のみではなく、持って生まれた感覚というものがある。

「価値」や「楽観悲観」は、環境だけでなく、遺伝子も加わる。

子どもがボロボロのシャツにすってんてんのパンツを頑なに履き続けるのは、学習か?経験か?

否、それが社会の目からという学習でも、経験でもなく、「これを着たい」というその子どもの「価値」であり、環境の要素だけで説明はできない。

持って生まれた、その個人の資質、感性であり、遺伝子が関係するのは明白だ。

 

何を「大事」にするかは、「遺伝子」と「環境」が要因になる。

 

何に「注目」するかは、何を「大事」にしているかであり、何を「大事」にしているかは、各個人の生まれ持った資質である「遺伝子」と各個人が育った「環境」が重要だ。

即ち、何を「大事」かを知りたければ、自分の資質の「遺伝子」の基である家族を知ることであり、どういう経験、学習をして育った「環境」を知ることが、自分の「価値」を知るのに適している。

外的要因から、内的要因を見つめ直すのは良くある手法だろう。

 

こうした手順を踏めば、「思考の方向性」の出発点が見え易くなるだろう。

私にとっての「判断項目」では、「内面の追求」が加味されるが、それは私の資質と経験から導かれたことなので、「内面の追求」は「価値」と置き換えても問題ない。

「意味のない数字」において、何をもっとも「大事」にするかは、このブログでの「環境」が大きいことだろう。

ブログの趣旨は、すでに私の「価値」によって方向性を定めているので、「意味のない数字」の「思考の方向性」を定めるのは、「環境」、この1年で何を経験、学習したかを精査すれば良い、はずだ。

斯くすれば、「思考の方向性」の出発点は定められる。

 

その精査については、後半にする。

また、プロセス2、プロセス3についても次回に回す。

今回はここまで。