ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

129

遠出しようかどうかで悩んで。

色々と支度しようと、ちらと目に入る、大人買いした漫画。

まとまった時間があるから、ちょっと読もうと手に取り。

読み耽り、読み続けて、黙々と。

 

読み始める前に、時間を確認。

2時、まだ外が暗い、3時になったら出かけよう。

読み終えて、時間を確認。

15時、もう外が暗い、はて見間違いか?

 

もう一度、時間を良く見た、二度三度。

そうして、どうやら間違いなく、15時。

13時間、漫画を読み通していた事実に軽く驚く。

成る程、だからさっきからお腹がきゅるきゅると音を鳴らしているのか、と合点。

 

私の普段は発揮しない集中力が発揮されたようだ。

大晦日に掃除をしようとして、出て来た漫画を読み始めてしまう、あの魔が差したというやつだ。

心なしか、背骨が痛い、喉も乾いている。

時間を忘れて、いやー、読んだ読んだ。

 

ところで、私が何をそんなに夢中で読んでいたか、気になる方はいるだろうか?

いないだろう、いないと信じている。

信じているが、勝手にカミングアウトして引かれるのも一興。

漫画は読むが、空気は読まない、それが私。

 

私が読んでいたのは、「君に届け」1〜28巻だ。

君の名は。」ではない、「君に届け」だ。

分類は少女漫画だ。

少年漫画ではない、まして青年漫画ではない、少女漫画だ。

 

客観して、30歳童貞独身の男が、少女漫画を大人買いする。

その少女漫画を寝食を忘れて13時間、ニタニタとしながら読む。

気持ち悪い、そう罵られても、致し方なし。

心配されてカウンセラーに連れて行かれても、着いて行こう、治る見込みはないが。

 

しかし、読みたいのだから、読んでいたのだ。

30歳男性が、少女漫画を読んで何が悪い!

1巻が発刊されたのがどうやら2006年、11年前だ。

11年前とすると、私で言うと19歳…いや、かなり厳しいだろうが…まだ許容範囲、ではないか…

 

いやいや、11年の歳月と言えば、少女が大人になるのに十分な時間だ。

追いかけ続けているファンなら、大人が読んでいても何の問題もない。

私の場合は、大人買いなのだが。

より気持ち悪さが際立ったような気がする、致し方なし。

 

当時はそれなりに話題になっていた。

今はどうなっているか、気になるのが人情だ。

そう自分に言い聞かせておく。

自らの業の深さは見ないようにする。

 

その少女漫画、「君に届け」。

ヒロインの黒沼爽子の前向きさは、一読の価値はある。

風早翔太との2年時の学園祭は、あまりの甘さに転げ回った。

サブヒロインの千鶴とあやねの展開も驚いた。

特にあやね、28巻まで読んで、そう来たか、と唸る。

 

少女漫画、確かにオッサンが読むものではないかもしれない。

しかし、良く出来た作品というのは、胸を打つ。

名作はジャンルを超えて読まれても良い、読んで欲しい。

読んでもらえば分かる、良い作品は面白い。

 

どうやら29巻はもう発売されているようなので、それは買う。

買う、何があっても。

例え、北朝鮮が核ミサイルをぶっ放したとしても、買う。

私の業の深さに呑まれてしまえ。

 

とかして一休みしていたら、日が跨ぎそうになる。

急いで投函して、編集。

そして、今に至る。

記録上は、継続していることに。

不正?良いのだ、それくらいの不正は!

 

…おかしいな?美しい話を読んで、心洗われたはずなのだが。

醜い私の心は喚き散らしているような?

………見ないことにしよう。

私に業など在りはしない…そういうことにしてしまおう…フフッ

 

投稿します。

128

夜勤明け後の10時に意識をシャットダウンして、うつらうつらと目を開けたら16時。

色々とやろうと考えていたけど、ここまで来たらもうちょい寝ようと決意。

22時頃、寝ぼけたまま起床。

 

何にもやる気がしないな、とごろごろする。

ふと、まだ記事を書いていないことに気付く。

取りあえず、パソコンの前に座る。

 

さて、これからの予定だが…取りあえず、遠出はする。

何故なら、3連休、私に遠くへ行けと弾けた「私」が囁く。

何処に行こうか、思いを馳せる。

 

それにしても、毎回、希望休を3日連続で取るのは常識としてアリなのだろうか?

特に上司から「ちょっとこの取り方は困る」と言われた訳ではないけれど。

更に言えば、3日は希望として申請できるのだから、本来は気にすることではないかもしれない。

しかし、「また3日連続かよ」と悪態を吐かれているかもしれない。

それでも3連休はこれからも申請する、御上から何か言われるまでは。

 

初日は寝て潰したが、それはそれで。

何せ、12時間の睡眠は私に活力を与える。

この記事を書き終えたら、いそいそと出るつもりだ。

 

それで…東京か、日光東照宮か、伊勢神宮か…で今悩んでいる。

 

東京、特に新宿に行きたい、紀伊國屋別館に。

東京などの都会は、田舎よりラインナップが充実していて時々行きたくなる。

ただ、こけし達の撮影を考えると…東京スカイツリーはもう撮ったしな…

それに、自動車で行くと駐車場問題が…本当に高いよ、都会は…

 

日光東照宮は三猿と眠り猫と陽明門が見れれば良い。

しかし、9月…10月の頃合いの方が紅葉があって綺麗なのかもしれないと二の足を踏む。

日光東照宮は今年中に行くことには変わりないが。

 

伊勢神宮…お伊勢回りはしておきたい、海鮮とか食べたい。

ただ、三重県…遠過ぎるか?

目下考え中…片道8時間でも運転できるけど…

 

そうしている内に日付が変わりそう。

そろそろ投稿しないといけない。

文字カウンターを確認、十分に書けている。

存外、短いかもしれない、770文字。

これなら何とか書いていけそうな気がする。

 

とりあえず、ここまで。

 

投稿します。

各個人が何に「着目」するのかが、「思考の方向性」を定める。

思考の方向性を取っ掛かりに考えます。

 

さて、昨日の「127」を付け足して。

何を考えるかのテーマを設けてみよう、と何となく考え。

取りあえず、「思考の方向性」をテーマに色々と書いてみようと。

 

何故、「思考の方向性」なのか?と言えば、「思考の方向性」が分かれば、雑記に書くのに役立つ、気がする。

しばらく、適当な感じで770文字以上の記事を適当に目指す。

 

まず、思考の方向性において、ネガティブか、ポジティブかの二方向があるだろう。

日本語で言えば、楽観か、悲観か、ということ。

そこに「興味」が加わる、というイメージ?

 

例えば、「りんご」を見たとして。

「りんご」を見ただけでは、思考していない。

「りんご」という物体を通して、各個人が「興味」があることに凝視される。

その凝視することが楽観した見方か、悲観した見方か、の違いに別れる。

 

興味があることが、思考に関連しているか?

否、「りんご」という物体を通して、「興味がない」という点に凝視すれば、「興味がない」ことから思考が移る、だろう。

即ち、「興味」が有る無しは思考には関係ない。

各個人が何に「着目」するのかが、「思考の方向性」を定める。

 

では、「着目」するとは何か?

ちゃくもく
着目
 
  1. 《名・ス自》
    (重要だとして)気をつけて見ること。目のつけかた。着眼。
     「特異な才能に―する」

 

 

各個人が「重要」だと位置付けていることに、気を付けて見る。

では、「重要」とは何か?

じゅうよう
重要
 
  1. 《名ノナ》
    価値・必要性などが大きいこと。大切。
     「―視する」

 

 

各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいこと。

「など」と書いているので、価値や必要性以外にも各個人にとって「重要」と位置付けるファクターの項目は多種類なのだろう。

 

即ち、着目とは…

各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいことだとしていることに、気を付けて見る。

 

更に、「気を付ける」とはどういったことか?

  1.  注意を払う。「失礼のないように―・ける」

  1.  元気をつけさせる。

    1. 「なまじひなる事し出して敵に―・けつることよ」〈太平記・三〇〉

  1.  気づかせる。思い出させる。

    1. 「中々なる軍 (いくさ) して敵に―・けてはかなふまじとて」〈太平記・三二〉

 


dictionary.goo.ne.jp

 

おそらく、2の項目は違うだろうが、すべての項目の意味を指すものとする。

では、1の「注意を払う」の「注意」とは何か?

心理学用語において注意とはある周囲の事物事象の特定部分や心的活動の特定の側面に対し、選択的に反応したり注目したりするように仕向ける意識の働きをさす。また、その働きによって選択性を持つ特定の反応が維持されている状態の事や明瞭性を持つ特定の心的活動が意識の中心を占めている状態をさすときにも用いられる。意識心理学では理論の構成上中心的な概念の一つとされ刺激の特性や本来個体が持つ興味によって生じる1次的注意意志及び努力によって維持される2次的注意、または刺激対象に対し感覚器官を調整する感覚的注意とある物に意識を集中させる観念的注意に分類する。 

 

注意 - Wikipedia

 

急に難解になった…

かい摘んで書くと、「ある特定のことに選択的に反応したり、注目したりする意識の働き」ということだろうか?

 

2においてはそのままだろう。

 

3は、気付き、思い出すという、経験や学習、記憶に由来しているようだ。

 

まとめると、「注意」とは、ある特定のことに選択的に反応したり、注目したりする意識の働きであり、元気をつけさせ、気付き、思い出させることである。

 

この「ある特定のこと」とは、各個人が「注目」していることである。

 

よって、「着目」とは、「各個人の価値・必要性などが各個人にとって大きいことだとしていることに、選択的に反応したり、注目したりする意識の働きであり、元気をつけさせ、気付き、思い出させるように見る」ことを指す。

 

…言葉の定義をするのは、大変だ。

次回は、「着目する」行為においてのプロセスを思考したい。

中々に長文だから、「〇〇を取っ掛かりに考えます。」にしよう。

 

この調子だと、770文字以上を書こうとすると、「意味のない数字」が疎かになりそう。

おかしい、意図しない思考を書こうと思考の方向性を模索しているのに、何故か意図した思考になってしまっている。

パラドックスの迷宮に入ってしまった。

いや、これも乙か。

 

この思考が一段落した頃に、意図しない思考の方向性が定まることを願って。

127

布団からこんにちは。

眠気MAX、上の小枝です。

770文字、早速頓挫しそう…

 

最近、張り切って書いて、寝る時間削り過ぎた…

背伸びする!とは一体何なのか?

いいや、「できれば」と書いたのだ、気にしない、ようにする。

 

後で付け足す…のが最善か?

しかし、何を足せば良いのか?

レシピの「塩少々」のような足し具合の分からなさ。

 

…いいや、付け足すことも後で考えよう。

今はとかく、身体を労る。

布団からさようなら。

 

人知れず、付け足す。

廃墟と化した村の荒れ果てた田畑に咲くシャクナゲのように人知れず。

 

さあ、どうしたものか?

770文字以上を書くにはどうしたものか?

…テーマがないのがいけない気がする。

 

「意味のない数字」は意味のないことに意味があるのだが、その性で何の方向性がないのが難点だ。

一つ、テーマを掲げた方が良いのだろうか?

せめて、迷わぬようにするために。

 

然りとて、どのようなテーマを設定すれば良いのか?

テーマを考えるためのテーマでも設定すれば良いのだろうか?

何か、禅問答の様相を呈している。

 

このブログは、一応、分類上「雑記ブログ」ということになる。

では、そも「雑記」とは何か?

 

簡単に言えば、一貫性のない事柄を書き付けたもの。

日ごろ、思ったことや感じたこと、考えたことを書き付けるもの

日記と違うのは、別に日々の出来事だけを淡々と書き付けるわけじゃないこと。

(参照下記リンク先)

d.hatena.ne.jp

 

一貫性…確かにそう言ったものはない。

つまり、個人の思考を意図せずまとめると言うことでしょうか?

内面の追求、「私」とは何か?などは、個人の思考をまとめてますが、追求すると言う点で目的があります。

「意味のない数字」はそうした意図とは乖離して、その時々で考えたことを書く。

ならば、「雑記ブログ」と名乗って問題ないだろう。

 

その思考は…眠気が大体の部分を占めている。

逆に一貫性がある、と言えなくもないほどに、眠気に思考を奪われている。

これが問題…と仮定しよう。

 

そして、テーマを掲げる、即ち、私個人の思考の嗜好を吟味し、至高な指向を求めて試行し、志向するのが多幸だろう

分かりづらいか…つまり…「私はどのような考えをしているのかを考えて、より良い色々なことをあれやこれやと試して、何だか良さ気な記事を書ければ嬉しい」

分かり易い方で理解して頂ければ。

 

それなりに付け足すことができた。

この調子でそれなりに付け足していきたい。

 

投稿します。

久方ぶりに予定がある、そんな私の今回の休日は。

9月5日の休日を取っ掛かりに考えます。

 

両親が3日間の旅行に出かけた。

何かと文句の多い父とそれに辟易している母であるが、何故か1年に数回は一緒に旅行する。

普段の二人のやりとりを見ている私としては、「両親が旅行に出かけた」というのは、違和感がある。

掛け軸や壺などの骨董品の中に、アニメキャラクターの抱き枕が紛れ込んでいるような違和感。

夫婦とは謎だ。

 

3日間、家を開けている間、私は頼まれ事をされた。

愛犬の世話だ。

一緒に連れて行くのは、もっと落ち着きがないと無理だろうなとは、私でも感じる。

 

昨日は休日で、いつもなら今朝は寝ているのだが、愛犬を散歩に連れ出さなければならない。

なら、休日はごろごろして、朝に起きれば良い、と考える。

ただ、アトピー性皮膚炎である私は、塗り薬を処方してもらうために皮膚科の病院に行きたい。

それに、9月中旬で上映終了するであろう「メアリと花の魔女」も観に行きたい。

そうすると、寝る時間が削られる。

黒鉛の芯を出すために鉛筆削りでガリガリと短くなる鉛筆のように削られる。

仕方なし、そういう日もある。

予定があるのも、久方ぶりな気がする。

 

久方ぶりに予定がある、そんな私の今回の休日は。

 

夜勤明けにぼうっと過ごし、10時45分頃に映画館へ。

松本市内の渋滞にはまって、上映時間丁度に映画館のチケットを買うことになったが、無事「メアリと花の魔女」は観れた。

ジブリと見分けがつかない!と聞いていたが、キャラクターはシンプルな線で描かれていて、もったり…もっさり…ゆったり…?とにかく、ジブリとは違う感じはした。

モブは完全にモブとして描かれているように感じますし。

あと、声?ハキハキ…しっかり…とかく、やはりジブリとは違う感じだ。

聞こえの悪い言い方をすれば、ジブリのパチもんだ。

模倣…とは違うな…最近のアニメのような成分があるような?

作品自体は、好きですけど。

メアリの成長がよく分かるし、ピーターが最高にイケメンで良い。

30歳が観る映画ではないかな。ええ、お子さんと観るのには最適かと。

 

上映終了後は、皮膚科の病院へ。

14時頃に15時からの予約をして、時間を潰すために穂高神社の木陰で、Twitterのメールを整理する。

何か、意識高い系な気分になるのは、外で電子機器を弄っているからだろうか?

 

15時に再び出向いて、診察。

いつもはおばちゃん先生なのですけど、今日は会ったこともない若い男性の先生だった。

ちょっと心配だったが、さくさくと問題なく診察して、塗り薬の処方に。

新薬を勧められるような若い人に有りがちの冒険をされずに済んで、一安心だ。

 

処方後は帰宅、そのまま朝に備える。

18時には寝ていた、と記憶している。

 

6時頃、母が一声かけてくる。

私がちゃんと愛犬の世話をするのか心配の様子。

私の無精っぷりを知っているからこそだろう。

適当に返事して、だらだらと支度。

 

8時頃に愛犬の散歩。

しょげているように見えるが、母がいないことが気になるのだろうか?

帰宅後、餌を与える。

普通に食べているので、しょげているとしても大丈夫だろうと、放っておくことに。

 

それからもう一眠りして、現在。

そろそろ用意して、出かける。

愛犬の夕げも忘れずに。

 

振り返れば、大したことはないけれど、いつもと違う気がする、そんな休日。