ネガティブ方向にポジティブ!

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神仏にとってはこの世の出来事は暇つぶし程度のこと。

地蔵菩薩像を取っ掛かりに考えます。

 

釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまで現世に仏がいなくなるから留守を預かっている地蔵菩薩の御身姿を表現した、地蔵菩薩像。

お地蔵さんと言って親しまれていますね。

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写真は長野県は善光寺のお地蔵様です。

こうやって6体でいることが多いですよね。

これは、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道修羅道、人道、天道)を輪廻する衆生を救うべく、六道それぞれの救う六種の地蔵とのこと。

スペシャリストですよ。戦隊物ですよ。あ、誰がレッドなんだろう?やっぱ人道のお地蔵様??

 

まあ、お地蔵様に限らず、こういう思想って宗教ならではって気がします。

と言うか、神やら仏やらは一体何の為にいるのでしょうね?

こう、「悪いことはしてはならない」とか解いてますけど、謎ですよね?

 

まあ、妄想ですけど。

あえて、言い切る。

 

神仏にとってはこの世の出来事は暇つぶし程度のこと。

 

私の宗教観とかも関係しているのかもしれません。
どう考えてもバッシングは免れない、そんな内容です。
 
最初に。皆さんは「十戒」と聞いて何を思い浮かべますか?私はモーゼの十戒を何となく思い浮かべます。今回、どういった内容を書かれているかと調べてみたら、仏教にも十戒があったんですね。以下、十戒についての解説です。
 
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沙弥の十戒仏教において沙弥および沙弥尼(見習いの僧侶・小僧)が守るべきとされる10ヶ条の戒律。日常に守るべき戒律である。
 
1,不殺生(ふせっしょう):生き物を殺してはならない。
2,不偸盗(ふちゅうとう):盗んではならない。
3,不淫(ふいん):性行為をしてはならない。
4,不妄語(ふもうご):嘘をついてはならない。
5,不飲酒(ふおんじゅ):酒を飲んではならない。
6,不塗飾香鬘(ふずじきこうまん):世俗の香水や装飾(貴金属)類を身に付けてはならない。
7不歌舞観聴(ふかぶかんちょう):歌や音楽、踊りを鑑賞してはならない。
8不坐高広大牀(ふざこうこうだいしょう):膝よりも高い寝具や、装飾を伴うベッドに寝てはいけない。
9,不非時食(ふひじじき):食事は一日二回で、それ以外に間食をしてはいけない。
10,不蓄金銀宝(ふちくこんごんほう):お金や金銀・宝石類を含めて、個人の資産となる物を所有してはならない。
 
モーゼの十戒モーゼが神から与えられたとされる10の戒律。十戒の内容は神の意思が記されたものであり、モーゼが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない、とされている。
1,主が唯一の神であること
2,偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3,神の名をみだりに唱えてはならないこと
4,安息日を守ること
5,父母を敬うこと
6,殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7,姦淫をしてはいけないこと
8,盗んではいけないこと
9,偽証してはいけないこと
10,隣人の家をむさぼってはいけないこと
 
1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法の根幹)である。
 
わたしはあなたの主なる神である。
 
1,わたしのほかに神があってはならない。
2,あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3,主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4,あなたの父母を敬え。
5,殺してはならない。
6,姦淫してはならない。
7,盗んではならない。
8,隣人に関して偽証してはならない。
9,隣人の妻を欲してはならない。
10,隣人の財産を欲してはならない。
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道徳的に人が殺したり、盗んだりすることがいけないことは解ります。
また騙したり、性行為に耽ってしまうのもいけないことも。
しかし、神仏がどうしてそれらのことを禁止にするのか?
神仏にとって人間が何しようが関係ないのでは?
 
ちょっと調べてみたら色々と出てきました。
 
イエス・キリストは「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」と言っています。
親鸞は「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」と言っています。
極論、悪人を救うために宗教はあります。
 
また、聖書内で神は2,476,633人(約250万人)を殺しているそうです。
これは具体的な数字が明記されている事柄に限定した数字で、具体的な数字のないものを含めれば2500万人となるそうです。
因みに悪魔が殺人を犯した数は10人だそうです。
 
アダムとイヴがヘビに騙されてリンゴを食べてしまったとき、楽園から追い出されたのはアダムとイヴです。騙された方が悪いという解釈も出来ます。
仏教アングリマーラ(100人を殺して、その指を首飾りにしていた人)も弟子入りしています。
 
そも、人間に限定しているのも不思議です。
天地創造した神は他の種には殺すことや騙すことは禁止しないのか?
例えば、三毛別羆事件は熊が人を殺した訳です。そのことは不問なのか?
また、虫の擬態は生き残るためとはいえ、騙している訳です。
ハエトリグサのハエは?食べるためなら殺しても良いのか?
神仏の言い分を人間にだけ当てはめて考えるのは可笑しい。そう感じるんです。
 
悪いことをするなと言いながら、悪人を救う矛盾。
悪いことをするなと言いながら、大量殺戮や騙された方の追放などの矛盾。
悪いことをするなと言いながら、人間以外の生き物には問わない矛盾。
 
もし、これらの矛盾が神仏にとって矛盾でないとするならばどういったことか?
 
人間がパーソナルコンピューターのコードのような存在であったなら?
地球というハードディスク上に書き込まれた存在だとしたら?
人間の行う悪いこと=「バグ」ではないか。
 
人間とは運命=コードによって未来が約束されているとして。
リンゴ=ウイルスを食べたことによって、「運命を抗うこと」がインプットされてしまい。
結果、そのバグを取り除こうとして楽園から追放される。
 
しかし、バグは予想外に拡大していってしまい。
その度にバグった人間を排除していった。
しかし、そのやり方だけではいけないと感じた神が正常に作動している人間に十戒を託した。
つまり、宗教とはウイルスバスター的な立ち位置なのでは?
悪人を救うのではなく、バグの矯正が目的であるのでは?
 
他の生物に適用しないのは、他の生物は運命通りに作動しているから。
問題なく運行できているなら、弄る必要はない訳です。
また、バグった他の生物は正常な人間によって矯正、排除されている、とも考えられます。
 
なら、どうしてそんな面倒なコードを作ったのか?
地球が例えば、インターネットとして…もしかして、暇つぶし?
人間でさえ、長い時間を過ごすのにちょっとした娯楽は必要です。
神仏は宇宙を創造したとあります。つまり、本業がある訳です。
地球はハードディスクと言いましたが、アプリケーションの方が正しい気がします。
本業の宇宙運営の合間の休み時間に暇つぶしとして地球を起動している。そう考えると「悪いことをしてはならない」というのは神仏的にはゲームのコマンドかもしれません。
 
つまり…休憩時間に遊んでいるのよ、きっと!神様仏様は!!
 
絶対、怒られる内容だ!まあ、穿った見方が好きなので仕方がないですね←
地蔵菩薩像の微笑みは営業スマイル?そんなこととか考えてしまいます。
 
皆さん、罰当たりがここにいますよ。気をつけてください。