仮定、私の脚本の登場人物は「動機付けがない」とする。
「何故、そうした行動をしたのか分からない」、「行動を起こす理由、根拠がない」としよう。
この仮定は、「私の脚本の詰まらない、駄目な点」を言語化するために行う。
私自身はキャラクターが意志を持って発言、行動しているのだが、こういう風な受け取られ方もされているような気がする。
この仮定が合っているかどうかは今は置いておく。
まずは「動機付けがないとした場合の解決策は何か」を考えることが必要と判断した。
私の脚本の基本的な書き方が、キャラクターの資質、性格からパターンに則って展開している。
Aのキャラクターが発言したからBのキャラクターは反応し、返事をした。
私の中にあるパターンの組み合わせでキャラクターは話し、行動してくれる。
キャラクターが自然と動く、という状態なのかもしれない。
私としてはこのキャラクターが自然とそうした発言、行動をしているので、動機付けを考えたことがない。
キャラクターが勝手に動くという状態がもしかしたら、逆説的にキャラクターの人間味を失わせているのかもしれない。
「そういうキャラクターなのだから」で納得してくれないのが私には不思議ではあるが、同時に動機付けがあった方が良いのも分かる。
動機があった方が説得力があるし、長編を描く上で指針にもなる。
長編だと破綻し易い点は私の反省点なので、やはり、「動機付けがない」と考えた方が良いだろう。
「動機付け」とは何かしら行動を起こすに値する何かである。
現状への不満や未来への不安、過去の後悔などである。
私はすべての人間が分かり易い怒りや悲しみを抱えて生きているものか懐疑的だが、物語だとそこら辺は分かり易い方が良いのかもしれない。
「分かり易い」と書いたが、それは「人間性が薄い、平べったい」ということを等しくはならない。
表出する部分が「分かり易い」人間という意味であり、見て聞いてその人となりが分かってしまうことへの懐疑である。
表出しない、内面の部分における葛藤は物語の人間にもあるだろう。
脚本はシンプルの方が良い、らしい。
私の脚本も情報過多な面があるのは以前見直してもいる。
次に書く脚本は「動機付けを明確にする」にしておこう。
私の中でこれは中々難儀かもしれない。
今まではキャラクターの発言、行動から動機付けをしていた。
次に描く脚本はまず動機付けを考えてから、それに基づいて発言、行動をさせる訳だ。
上手くいくかは分からないので、一度挑戦してから考える。
良い感じに動機付けしたキャラクターが動けば、万々歳である。
失敗したら、やり方、動機付けの意味も考え直さすかもしれない。
脚本書きは急ぎではないので、どこかのタイミングで書き始める。
脳内で捏ねくり回す期間が欲しい。
こういう発言をしてから練る練るし始めてしまう悪癖はあるが、急ぎではない、という旨も脳内で繰り言しておく。
何が面白くなくて、何が詰まらないのか。
分からないから一つ一つ可能性を潰し、対処するしかない。
私を導いてくれる先生がいれば嬉しいが、脚本の指導をしてくれる人間がどこにいるのかも分からない。
分からないので、想定をしつつ総当たりで詰まらないを潰す。
的外れだった場合、自分の良さも殺しかねないので、自分の面白いも見失わないように注意したい。
分かり易い「面白い」のパターンがあれば、それに乗っかるだけで済むのに、と不精者は考え至り、一人一笑に付す。
面白い脚本を書くために随時、脳内アップデートを試みる。