空ばかり事細やかに書いても芸がない、と考えて目線を下に下げる。
すると、田んぼの稲が青々と伸びているのに気付く。
何時の間にか、田の底の水が隠れるほどに、稲は成長していた。
私が空ばかり眺めている間にも、稲は上へ上へと伸びていた。
下へ目線を下げなければ、秋に黄金色になるまで気付かなかっただろう。
今、こうしている間にも、稲は伸びている。
存外、意識して見ていないことは多い。
目の角膜に映っていても、その角膜の映像を「私」は見ていない。
テレビを着けっ放しで誰も見ていない居間のようなものだ。
だから気付くと、何故今まで見えてなかったのか、自分の不注意を憂う。
しかし、そも気付けなければ見えないままなので、不注意を憂うこともない。
どっちの方が良いのか、甚だ疑問だ。
鈍感なまでに気付かなかった、稲の成長。
稲にしてみれば、今更で、殊更に言うことでないかもしれない。
ただ、黙々と伸びるだけ、伸びる。
だから、これは、何となしに私が感じることだ。
もう少し、下も見ておこう。
事細かく書けることが、きっとある。
書けることに気付けるかどうかは、置いておいて。
とりあえず、そう考える。
稲が風で揺れる様を眺めながら、そう考える。
意識絶えさず、投稿する。