がっぽり寝た。
そして、起きた。
節々が熱い。
内蔵も熱い。
やはり、疲れている。
と他人事のように考える。
もうすぐ師走。
寝て起きてたら、年を越すだろう。
投稿します。
「私がブログを書きたくなるとき」を取っ掛かりに考えます。
最初の一石を投じたのは、2016年9月。
手頃にあった小さな石たちを、水溜まりに投げ続けて、1周年。
当ブログへ投稿する記事のつぶては、小さな波紋をぽつりぽつりと起こしている。
私は、何故、この石を投げるのだろうか?
小さな波紋に問い続けて、未だ解を得ず、今日もまた投げる。
はてなブログが6周年になったそうだ。
その時に今週のお題が「私がブログを書きたくなるとき」だ。
5周年の時のお題、「5年後の自分へ」でも記事をひょろりと書いた。
6周年の記念にまたぞろひょろりと書こうか、と覗いたのがきっかけ。
「私がブログを書きたくなるとき」と提示されたお題が、妙に引っ掛かったが書こうと決めた理由。
期間は遠の昔に終わったが、気にせず書いていく。
この設問は、まず「ブログを書きたくなるとき」である。
私がブログを書くときに、「書きたくなるとき」はない。
気分の浮き沈みはあるが、毎日、記事を書くことが常態化している。
例えば、「ブログを書きたくなるとき」を私の感覚で言い換えると、「ラーメンを食べたくなるとき」という質問をされているようなものだ。
どういうときにラーメンが食べたくなるかと言えば、ラーメンが食べたくなるから、としか言えないではないか?
スーパーのお惣菜や弁当、数ある外食店、その中で、あえてラーメンを選ぶのは、「食べたいから」以上の答えが見つからない。
この設問には、重要な部分が抜け落ちている。
即ち、「衝動」が前提にあることだ。
この設問を、「ブログを書きたくなる(衝動が起きる)とき」と捉え直した。
そう捉えると、はてなブログ運営がこの設問をした、という事実に、一つのブログの側面が見えた。
それは、ブログには「衝動」で書く部分がある、ということだ。
言いたいこと、伝えたいことがあるから、人は言葉にする。
そして、「書く時代」とされ、SNSで皆、様々な気持ちや考えを発露している。
「書くこと」に多様性がある中で、あえてブログを選ぶのは、「書きたいから」という「衝動」があるのだろう。
その衝動は、人によってまちまちだが、衝動故に、長くは持たない。
ブログを続けられない人たちは、「衝動」で書いて、書いて、書き尽くして。
言いたいこと、伝えたいことがなくなって、自身の中に「衝動」がなくなるのだろう。
突き動かす事柄がなければ、自然、離れて行くのは、想像に難くない。
そして、私の中にも、書きたくなるという類いの「衝動」は潰えている。
このブログを最初期は、「衝動」で書いていた、と言って良い。
実際、日に2、3記事を投稿している。
私の中で溜まりに溜まった激情を吐き出すのに、ブログは私とすこぶる相性が良かった。
しかし、3、4ヶ月辺りで、「衝動」は収まり始めていた。
凡そ、平均して1000文字程度の記事を100記事、10万文字ほどで私の「衝動」は衰えてきたのだ。
もう少し、足したとしても、文庫本1冊程度だ。
「誰でも1冊は小説を書ける」という弁を聞いたことがあるが、それは人を突き動かす「衝動」が収まるのが本1冊だということなのだろう。
「衝動」で書かなくなった決定的な時期は、カテゴリー「意味のない数字」で記事を書き始めた、2017年4月。
約半年で、私の中から、「書きたくなる」という感情は消えた。
「衝動」の延長線上、「惰性」で書き続けている。
書くこと自体の理由付けは何度もしている。
気合いを入れて書くことも度々ある。
それでも、「書きたくなる」といった「衝動」で書いてはいない。
では、「衝動」でなければ、一体、何なのか?
本当に「惰性」だけなのか?
いや、「惰性」のその根っこには、「拘る」ことがある。
「継続する」ことに「拘る」ことが本質にあるのだ。
私は1回に食べる量が多い方だ。
しかし、1日、何も食べないときもある。
対して、ブログは毎日、1記事、必ず書いている。
三大欲求の一つ、「食べる」ことよりも「書く」ことの欲求の方が強いのだ。
そこには、「今日も何かしら書こう」という意識が働いている。
しかし、今まで何度も「今日は何かしら書けるか?」という日はあった。
その時に「書かない」という選択肢もあっただろう。
それでも、私は、「継続する」ことに拘った。
「継続する」ことに、執着をしているのだ。
果たして、何に、執着しているのか?
それは、「普通」であること。
それは、「まとも」であること。
それは、「私」の追求。
それは、積み重ねた先を求めて。
それは、「拘る」こと。
それは、私の「怪物」を知るため。
それは、私を許すため。
それは、日常の何でもない、詰まらないこと。
それは、確からしいこと。
それは、「愛」や「正義」の意味。
それは、それは、それは…
何れも正しいが、違う気がする。
何れもぼやけているが、核心に迫っている気がする。
言葉が氾濫しているのに、手元には何一つ残らない、この不思議。
私は、何故、この石を投げるのだろうか?
この答えは、現時点にすると、奇々怪々な迷路で往生する羽目になるが、未来のある状況になったときなら、言えるかもしれない。
即ち、「継続する」ことを私が必要としなくなったとき。
書くことを辞めた、その後の未来だ。
十分に、私が納得する「継続」だったと言える地点。
そして、ブログを断絶した、その先。
「ああ、これは書かなければならないな」という事柄が巡り会えるかどうか。
それは、喜ばしいことか、悲しいことか、苦しいことか、腹立たしいことか、嬉しいことか、楽しいことか、まるで分からない。
分からないが、あえて、言い切る。
ブログを書きたくなるときは、未来の私が突き動かされたときだ。
十分だと、もう書かなくて良い、と断絶して、尚、書きたくなる衝動が、未来の私にあるだろうか?
何せ、十分と言える地点を最低でも10年としているので、そこから先となると、枯れ果てているような予感さえする。
それとも、死ぬまで拘り続けて、継続が途切れないかもしれない。
拘る生き方をずっとしているので、途切れない方がある意味、現実味がある。
意味があるのかないのか、仮定に仮定を重ねた、設問の答え。
手元には詰まらない石が一つ。
自意識の渦を起こす水面に、弧を描くように放り投げた。
どぷん、と音を立てて、いつもより大きめの波紋を起こした。
深夜、山道を通った。
つづら折りの急な坂道を鼻歌交じりで快走した。
鹿が2頭、現れた。
左側の路肩をすたすたと歩いていた。
数秒、鹿2頭と並走した。
しばらく、ひた走った。
すると、今度は鹿が3頭、現れた。
広い敷地でもぐもぐと食事をしていた。
こちらに気付くと、山の中にぴょんと入り、警戒した様子でじっと見てきた。
また、しばらく、ひた走った。
すると、1頭の鹿が目の前を横切った。
そして、そのまま、素知らぬ顔でふっと樹木へと分け入っていった。
合計、6頭の鹿に出会った。
一晩に6頭も野生の鹿に出くわすとは。
そろそろ冬になり山に食べ物がなくなるこの時期、食べられる物を求めて人里まで降りてくること自体は珍しくない。
しかし、これだけ出くわすとなると、余程、自動車が通らないのだろうか?
ちょっとしたサファリパーク体験をしたような気分だ。
長野県の山で今回の分を合わせると、8頭の鹿は居る。
こうして考えると、鹿はポピュラーな動物なのかもしれない。
その内、東京都の八王子辺りでも見かけるかもしれない。
昔は鹿はご利益があると言われていた。
一晩で6頭も見たのだから、何か良いことがあるかもしれない。
大事なのは、期待しないこと。
何か良いことがあった時に喜べば良いし、何も良いことがなくても気にしない。
「これは良いことがあるぞ!」と明るくなるのは良いとして、どうすることもできない運に期待しても仕方ない。
何か良いことがあった時に、「鹿がご利役を持ってきてくれた」と考えて、ひっそり感謝すれば良いだけ。
6頭も出くわしたことに、私の高揚感は天元突破したので、すでにご利益があった訳だが。
三日月の晩、山道にて、ご利益あり。
ゆるり手を合わせて、ひっそり感謝する。
(画像は同席した知人が描いたイラスト)
投稿します。
上田市にあるゲストハウス「犀の角」にて、「犀の女」という投げ銭ライブに知人と行く。
4人の女性パフォーマーが朗読や音楽などのパフォーマンスを披露して、帰り間際に箱にそのパフォーマンスの対価を投げ銭する、というもの。
観客がパフォーマンスの対価を決める(1円~1500円)ので、観客のシビアな視線による緊張感も面白いところ。
今日は他にもイベントが多数あったのだが、時間帯が被っていて、何れか一つに絞らなければならなかった。
何れにするか、悩んだ。
産まれてきた第一子の名前を決めるときのように、悩んだ。
または、先に腹を満たすためにファミレスに寄るか、それとも漫画の新刊を買いに書店に寄るか、デパートの案内板の前で考えるときのように、悩んだ。
何かを決めるときは、その時々の、何か次第。
名前なら、ぴったり合えば、その名前になる。
お店なら、お腹が鳴るかどうかで、決めれば良い。
今回は、ちょっと遠くに行きたいな、という気分で決めた。
悪く言えば「軽薄」、良く言えば「フットワークが軽い」、実に気楽だ。
そして、観劇した「犀の女」、実に面白かった。
来て良かったと、軽く考える。
私の身体の薄っぺらさは、風に乗り易い。
イベントは完全に終わって、ゲストハウスのカウンターで寛いでいるのだが、何と急に演奏が始まった。
こんなおまけがあるとは…いやはや、分からないものだ。
夜が更ける11月11日、コーヒーの苦味とギターの音色に浸る。
投稿します。
キャンパスに丁寧に塗った下地のような、水色の空。
巨大な平筆でさっさっと描いたような、白色の雲。
細い丸筆で折り重なるように、点描されたような、赤色や黄色や焦げ茶色の樹木。
白いハイライトが映え、くりっとした可愛さを際立たせる、橙色の柿。
「とある秋の日の山岳風景」と題した一枚の上質な絵画のような、完成された風景の中を軽快に走るのは、心地いい。
11月10日13時頃、私は母方の実家に居た。
自動車で行くのは初めてで、無事に辿り着けるか若干の不安はあったが、案外するりと辿り着いた。
祖父母に会うのは、柿の苗木が立派な柿を実るほど成長したくらいに、久方ぶりだった。
私が今、何の仕事をしているか、妹の結婚などを軽く話をしながら、昼食をご馳走になった。
その後、夜勤明けの私は、一言断って、ごろりと横になって、1時間ほど眠った。
15時くらいにお茶を飲んで、母宛ての荷物を預かって、さようならだ。
ご馳走になって、寝て、おしまい。
会えれば良かった私は、お使いさえ終わらせれば、長居する理由がなかった。
それでも、久方ぶりに会う祖父母にもっと労りの言葉をかけるべきか?
出る前に、ふと考え、祖父母の顔を見て、一言。
「じっとは無理だけど、もう少し顔を出すようにするよ」
高々、1時間で着く道のりだ。
名残惜しむほどに、会えない訳ではない。
会おうとすれば、何時だって会える。
何時でも会えるのだから、会いに行けば良い。
そんな簡単なこと、そんな単純なこと。
馬鹿な私にだってそれくらいは分かる。
ただ、仕事だとか、用事とか私事とかで、会うことを後回しにしがち。
「遠いから」はお金や時間がないことの言い訳。
何時だって難解にしているのは、私。
何時だって、複雑にしているのは、私。
ただただ、会うだけで良い、それだけのことを忘れる私は、やはり大馬鹿だ。
祖父母は笑顔で見送ってくれた。
次は来年辺りにするっと来たい。
訪れる理由は、特にない。
ああいや、一つ。
この景色の中、絵画の住人に会うため。
サイドミラーをちらっと映る二人は、美しい風景に良く似合っていた。
投稿します。