キャンパスに丁寧に塗った下地のような、水色の空。
巨大な平筆でさっさっと描いたような、白色の雲。
細い丸筆で折り重なるように、点描されたような、赤色や黄色や焦げ茶色の樹木。
白いハイライトが映え、くりっとした可愛さを際立たせる、橙色の柿。
「とある秋の日の山岳風景」と題した一枚の上質な絵画のような、完成された風景の中を軽快に走るのは、心地いい。
11月10日13時頃、私は母方の実家に居た。
自動車で行くのは初めてで、無事に辿り着けるか若干の不安はあったが、案外するりと辿り着いた。
祖父母に会うのは、柿の苗木が立派な柿を実るほど成長したくらいに、久方ぶりだった。
私が今、何の仕事をしているか、妹の結婚などを軽く話をしながら、昼食をご馳走になった。
その後、夜勤明けの私は、一言断って、ごろりと横になって、1時間ほど眠った。
15時くらいにお茶を飲んで、母宛ての荷物を預かって、さようならだ。
ご馳走になって、寝て、おしまい。
会えれば良かった私は、お使いさえ終わらせれば、長居する理由がなかった。
それでも、久方ぶりに会う祖父母にもっと労りの言葉をかけるべきか?
出る前に、ふと考え、祖父母の顔を見て、一言。
「じっとは無理だけど、もう少し顔を出すようにするよ」
高々、1時間で着く道のりだ。
名残惜しむほどに、会えない訳ではない。
会おうとすれば、何時だって会える。
何時でも会えるのだから、会いに行けば良い。
そんな簡単なこと、そんな単純なこと。
馬鹿な私にだってそれくらいは分かる。
ただ、仕事だとか、用事とか私事とかで、会うことを後回しにしがち。
「遠いから」はお金や時間がないことの言い訳。
何時だって難解にしているのは、私。
何時だって、複雑にしているのは、私。
ただただ、会うだけで良い、それだけのことを忘れる私は、やはり大馬鹿だ。
祖父母は笑顔で見送ってくれた。
次は来年辺りにするっと来たい。
訪れる理由は、特にない。
ああいや、一つ。
この景色の中、絵画の住人に会うため。
サイドミラーをちらっと映る二人は、美しい風景に良く似合っていた。
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