ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

409

8月4日土曜日、いつも希望休申請して確保している3連休の幕開けだ。

私の連休の初日の過ごし方は、いつもはスローリーだ。

しかし、今回はアレもコレもと考えていたら、過密スケジュールになってしまった。

 

夜勤明けの朝6時に帰宅後、一休みして、朝食をもぐもぐと食べ、自室のゴミをしこしこと片付けた。

8時15分過ぎ、母の日課の朝ドラが終わるのを待って、自動車で道の駅「アルプス安曇野ほりがねの里」へと向かった。

私は何を買うか聞くこともなく、母の買い物を自動車で待ちつつ、Twitterに来ていたダイレクトメッセージへの返信をした。

 

その足で、穂高市役所に行き、長野県知事選挙期日前投票をした。

母も次いでに期日前投票をすると行って、自動車から降りてきた。

私たちが会場に来ると、10人以上の大人たちが一斉に立ち上がり、貴賓のような扱いに少々戸惑った。

 

その後、コンビニに寄り、私は予めUSBメモリーに落とした資料を複合コピー機でコピーした。

母は、レジ前に置かれていたスイカを買い求め、私に持たせた。

白と水色の紐で網目状に編んだスイカ入れは、ずっしりと重かった。

 

9時過ぎからは、前回やり残した漫画の移動と部屋の片付けを行った。

予想していたより、ずっと量が少なかったので、へいこら言いながらも午前中に片付けることができた。

普段から片付けをしている人間だったら鼻で笑われる量かもしれないが、私にとっては大仕事であったので、片付けを完了した自分を褒めたい。

 

11時頃にTwitterのダイレクトメッセージで「ブログの記事の文章の終わり方」について質問されたから、めっちゃ分析して返事した。

書いていて、文章の組み立て方が独特なのかもしれない、と感じた。

ただ質問した相手にしてみれば、アリクイの舌くらい長い返事に困惑しているかもしれない。


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一休みして、13時頃にさっぱりとシャワーを浴びた。

湯上がり後に今日の分の記事をさくさくと書いている。

そして、もうすぐ15時になるが、16時頃には安曇野市穂高の納涼祭へ出向く。

 

そこで自分の地区の連で踊り狂う。

19時頃に納涼祭が終わったら、会館で打ち上げをする。

踊り狂った後は喉がカラカラになるので、ビールをたらふく呑む。

 

恐らく、22時ぐらいに解散する。

布団でがっつり寝て、アルコールを抜いた後は、御殿場へ行く。

明日の5日の10時頃には富士山を登るつもりだ。

 

富士登山を夕方頃に8合目の山小屋に着き、一晩明かした6日、御来光を拝む。

そのまま下山して、昼頃に長野県上田市へ向かいゲストハウス「犀の角」に立ち寄る。

トランクシアター「或いは、テネシーワルツ」を観劇する。

 

夜に家に戻ったら、後はどろどろに寝る。

7日の夕方まで寝倒したい。

これが、私が詰め込み過ぎた3連休の全貌だ。

 

休日なのに、休む間がない。

遊び尽くすことに精力を傾けてある。

現時点で、生欠伸が止まらないが、目はギンギンに冴えてしまっている。

 

3連休の幕開け、怒濤のスケジュールを見事にこなしてみせようではないか。

好き好んで立てた計画なのだから、こなすも何もないかもしれないが。

うっすら、立て直すべきかもしれないと、天使か悪魔が囁く。

 

然れど、我、道を行く。

今を楽しむ、それ以上もそれ以下もない。

408

母に漫画を貸した。

この世界の片隅に」がドラマで放映されていて、母がそのドラマを気に入っているようなのだ。

原作である漫画を私が所持していたために、引っ張り出して今朝方、手渡した。


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最初に怪訝な顔をした母であったが、お気に入りのドラマの原作漫画と気付くや、歓声を上げた。

母から「ありがとう」と素直な謝辞を、私は軽く手を振って答える。

部屋から出て戸を閉める間際に「ちゃんと返してね」と釘を刺すと、「はーい」と軽やかな返事が返ってきた。

 

私は見聞を広げたいとは考えているが、漫画が映画、ドラマ、アニメと波及したものを見ようとはそんなに感じない。

私は漫画が好きなのであって、漫画原作だからと言ってメディアミックスされた物を片っ端から集めようとは考えない。

かと言って、別に漫画が原作の作品を決して見ない訳ではない。

 

先に漫画で読んでいると、展開が読めてしまうからわざわざ見る気が起きない。

物語をなぞるだけなら、見なくても別に良いのだ。

好きな作品なら後で何度でも読み返せば良いのだから、全く同じ必要はない。

 

かと言って、漫画原作なのに本筋と違うところをピックアップするのも変だ。

格闘漫画なのに恋愛要素を捩じ込まれても、辟易するだけだ。

捩じ込むくらいなら原作でなく、最初からオリジナルで勝負すれば良い。

 

世のクリエイティブな人たちには、原作の世界観を守ろうとする姿勢と、漫画と他媒体で生まれる齟齬を可能な限り無くした作品を作って欲しい。

例えば、漫画のキャラクターの派手な服装や突飛な髪型は漫画特有だが、それをドラマ化すると服はペラくなり、髪型も寒くなる。

派手な服装は金持ち設定ならブランド物の服を着させた方がらしいし、髪型も有り得そうな範囲に収めておくべきだ。

 

その上で、新しい解釈を見せてくれるそんな作品を待望する。

原作を読み込んだ、原作以上に原作な作品、そういうのなら見てみたい。

そうした愛のある作品が希有なのは、安易に作れないからこそだろう。

 

映画には映画特有の良さがあり、ドラマにはドラマ特有の良さがある。

アニメや小説、写真など、それぞれの畑のそれぞれの良さがある。

そのそれぞれの良さを熟知した人の作る作品は一体どんな物か…と一縷の期待を抱いてしまう傲慢さにふと気付く。

 

色々と考えて頭がぐわんぐわんと痛むから、漫画を読んで癒すことにする。

 

407

最近、投稿後に「はてなPro」のバナーが表示されるようになった。

詳しい時期は覚えてないが、春頃には「はてなPro」への勧誘はなかった。

はてなブログ運営としては、はてなProに変更した方が良いのだろうか?

 

収益化など度外視している当ブログは、今のままでも全く問題がない。

ただ、無料でブログを書いていることに、多少の負い目はある。

やはり、みかじめ料を支払った方がはてなブログとしても有難いだろう。

 

独自ドメインに変更するとPVが下がって大変だ、認知させるのにこれまた大変だ、とはよく聞く。

成る程、それは由々しき事態かもしれない。

PV40からPV10に下がったら…考えなくても、大したことはなかった。

 

むしろ、私が二の足を踏んでいるのが、決済方法がよく分からないからだ。

クレジットカードは持ってないから、新しく作るとなった場合、手続きを考えるだけで甚だ面倒なのだ。

それとも、現金振り込みもあるのだろうか?

 

もし、はてなProに変更するなら、取り敢えず広告は外す。

ついでに、ごちゃごちゃしているシェアボタンを統一したり、ブログタイトルをデザイン化をしたりしたい。

今よりシンプルな見た目にしたい、という欲求はある。

 

はてなProにするかは、ちょっと頭の片隅にでも留めとくことにする。

406

下唇の内側が少し切れている。

元は口内炎があったその場所を舌でなぞる。

外的な刺激で電気パルスが一瞬で脳へと走り、刺すような痛みを伝える。

 

じくじくとした痛みを感じながら、どうせ痛いなら目が覚めるような痛みが良いなと考える。

コンクリートの壁にピンクの塗料をぶちまけるような、目の覚める痛みが良い。

今の痛みは、蟻の巣の穴をほじって拡げているような陰険さがある。

 

ふと、痛みに鈍感になってはしないか?と考える。

物理的にしても精神的にしても、痛みに慣れてはいないか?

こんなもんか、と高をくくり、本来の痛みを弱くしてないか?

 

生きていく上で、鈍感になることは必要だ。

何事にも鋭敏に反応していれば、疲れ果てて何もできなくなる。

陰惨な事件や悲惨な災害の痛みをそのまま受け入れていたら、その痛みに心が蹂躙されて、壊れてしまうだろう。

 

かと言って、鈍感に為り過ぎるのもどうだろうか?

テレビの報道はすべて脚本のあるドラマで、ただの娯楽でしかない、と対岸の火事のような態度は正しいのか?

突き刺すような痛みも、私は必要だと考える。

 

下唇の内側の切れ目を再び舌でなぞる。

先ほどより弱く、然れど確かに痛みがある。

鈍感な私に、痛みは絶対に必要だ。

 

じくじくと痛みに、少し、身を任す。

405

人に教えるのは難しい。

特に意識していなかった点を教えなければならなくなった時は難しい。

それは経験だよ、と片すのは頭が空っぽなのを自白するのと等しい。

 

積み荷の検品に新人さんがえっこらえっこら作業している。

今日の私は、一時的な教育係だ。

きちんと検品ができているか、様子を見る。

 

そこへ通りがかった人が積み荷のカゴがズレていることを指摘する。

1つ、2つなら大丈夫だが、あまりにズレが大きいと積み荷と転倒の原因になるから、注意した方が良い、とのことだ。

確かに、何個かカゴがズレていて、危険な感じがする。

 

きちんとカゴがズレないように積み重ねて欲しい、と言う前に新人さんの積み方をよくよく観察する。

しかし、新人さんも気にはしていて、ズレていたら直そうとしている。

はて、何がいけないのか?と積み荷が上段に差し掛かった辺りで判明する。

 

新人さんの背丈は150cmくらいで小柄だ。

カゴの上段に載せようすると、小柄な体格のために万歳したような格好となり、少し仰け反って載せている。

仰け反った姿勢だから両手のカゴが少し浮き、そのまま載せていくから、カゴのズレが起きている。

 

仰け反らないように載せて、カゴをズレないように注意して…と考えて無茶な注文であることに気付く。

小柄な新人さんに仰け反らないように載せてくれと言うことは、身長を今すぐ20cm伸ばしてくれと言うのと同じだ。

そんな簡単に身長が伸び縮みできるなら、私は自分の身長を10cm伸ばす。

 

更に困ったことがある。

新人さんは、台湾人なのだ。

簡単な日本語なら解するが、難しい指示は分からないと事前に聞いていた。

 

私がわたわたと「気を付けて、カゴが危ない」と伝える。

新人さんは「大丈夫!私、力持ちだから」と元気に答える。

確かに持ち上げる動作をしたし、彼女の案じての注意だが、伝えたいことではない。

 

他の女性作業員にカゴを載せる時に何を気にしているか?と聞いたが、「気を付けるしかない」との回答だった。

新人さんもカゴを積む際に気にしているのは知っているから、こちらが気を付けた方が早いか?と悩む。

取り敢えず、ズレる都度、声かけして意識してもらう方向にしよう、と結句、頭が空っぽなことを自白する。

 

人に教えるのは難しい。

ちょっと持ち上げる…いや、どう確認する?どう伝えれば良い?と悶々とする。

伝える言葉のズレで齟齬が生まれないか、悶々とする。

 

嗚呼、人に教えるのは難しい。