気持ちが無人駅の待合室の扉のように、ぴくりとも動かない。
どうしたものかと、考えて、スマートフォンで、ちょっと遊ぶことにした。
実験記事、としておこう。
とりあえず、やってみることは…
無意味な文字の羅列から、文章はできるのか?
早速、やってみる。
目を閉じ、スマートフォンの画面に人差し指を置き、上下左右に無茶苦茶に動かした。
そうやってできたのが、下記の意味をなさない文字の羅列だ。
てめの(によもりめと(とりのとりんほりんんよをりとりよりしおりむこ)ぬにゆひとりうの)ぬゆんしここひめぬりるのゆめるこめるぬゆとるの
この意味をなさない文字の羅列を、適当に文字を足し引き、漢字の変換などして、何となく意味のある文章にする。
最初に、「(」を「、」、「)」を「。」にしてみる(最後も句点を打つ)。
てめの、によもりめと、とりのとりんほりんんよをりとりよりしおりむこ。
ぬにゆひとりうの。
ぬゆんしここひめぬりるのゆめるこめるぬゆとるの。
次に同じ文字を打ち、予測変換で出た漢字を当てはめてみる。
手目の、によ森目と、鳥のと輪ほ輪ん世を利と理より栞向こ。
ぬに湯独りうの。
ぬゆんし此処秘めぬりるの夢る込めるぬ湯とるの。
上記の文章から、言葉や文字を継ぎ足し、引き差しする(改行のし直し、などもする)。
そうしてできたのが、下記の文章だ。
私の手や目の頼りなさをひしひしと感じる。
冬の朝に手が指先より冷えて、赤くなり、日の光と同化するように手が透ける様が、頼りない。
森に住まう鳥の目と比べなくても、何も障碍のない拓けた土地の10m先もぼやける目が、頼りない。
朝や鳥のように決然と咲く大輪の花を、ほんの一輪だけ手折る。
世を嘆く利がないと、世を背く理もないと、鞄より出した読みかけの文庫本に、その大輪の花を栞にして、頼りなさを誤魔化す。
しかし、それでも、私の手や目の頼りなさは覆い隠せない。
無意味と知りつつ、私は何度目かの嘆きをし、日に背きながら、頼りない足で影の向こう側へと歩き出す。
知らぬ間に疲れた身体を引き摺って、浴室に入る。
ユニットバスに溜めた湯に入り、浸る。
程なくして、独りうとうとし始めたので、顔をバシャリと湯船の湯で洗い、伸びをした。
そうして、私の手や目を労り、頼りないと嘆いたことを、そっと詫びる。
ぬゆんぬゆんと気の抜ける音を認めたような頼りない顔をして、そのまま布団へ行く。
此処も其処も何処もかしこも力が抜けきっている。
心の何処かにある、秘めたる熱い気持ちは、ぬゆんぬゆんと夢に持ち込めるだろうか?
ぬるめの湯で温まった身体を横たえ、次の朝の日差しと、鳥の鳴き声が聞こえるまで、眠る。
どうだろうか?
意味は通るだろうか?
因みに、大輪の花は手折ってはいない。
比喩表現だ、理解して欲しい。
目がしょぼしょぼ、手がぴきぴきと頼りなくなってきたので、終わりにする。