小豆島の二十四の瞳映画村から
私は「二十四の瞳」をどんな作品か知らない。
小説も映画もその内容を知らない。
「二十四の瞳」のタイトルだけ耳に残っていたから、それじゃあ行ってみよう、という軽いノリでこの映画村に来た。
私の場合は大抵、表面をなぞる程度で満足なのだ。
深く踏み込んでよく知ろうとするスタンスではなく、“何となく”その場その場の雰囲気を楽しもうとするスタンスだ。
だから、所謂ガチ勢には反感を買うことになるのだろうことを想像する。
「狭いけれど深く」関わることができる人を尊敬する。
人様の内面や物事の本質に迫れるのは、それだけ時間を“関わること”に割けるのだから。
私は人や物事に関わる集中力やら持続力やらが欠如しているな、というのが最近感じることだ。
その代わり、私は「浅いけれど広く」関わる人間です。
良く知らなければ行けない、と自分に行動に制限をかけないように心がけようている。
「今を楽しむ」がモットーにする、適当人間だ。
行ってみて、「二十四の瞳」は小説が原案であることを知った。
小豆島は醤油が有名らしく、小説の作者の「壺井栄」さんの実家も醤油製造を生業にしていたようだ。
あと、佃煮がすごく、すごく美味しい。
行かなかったら知らなかったことで、特に知っていなくても良い小さいことなのだが、小豆島について知った気になる。
それで「二十四の瞳」や小豆島のすべてを知ったかになるのは早計なのは分かっている。
俄(にわか)には俄なりの楽しみ方がある。
趣味は俄です、と怒られそうな趣味だが、それでも良い、だろうか?